11月に入って最初のブログになります。
冬が駆け足で、駆け寄ってきているように感じます。
自分のことって、なかなかわかりませんよね。
心のどこかで分かっていても、“認めたくないこと”もあります。
そして、いわゆる図星なことでも、本当に親しく、信頼できる人の
苦言であれば、なんとか腰を上げずに、耳を傾けることもできます。
そして・・・
あなたがどのような状況であれ、どんなに選択を誤ったとしても、
あなたを見捨てることがないのは、『あなたの魂』です。
その魂には、本当にたくさんの声が長い長い転生の歴史を超えて、
刻み込まれています。また同時に、
“一度たりとも神から離れたことのない愛の記憶”
を持っている魂の側面もあるのです。
SAM前世療法士として、“魂に触れる”ことのお手伝いをさせていただいていますが、わたしたちの過去世は、決して「過去の記憶」ではありません。
肉体を持って生きている間は、どうしても「時間」に縛られ、誕生から死へと、容赦なく流れる時間の流れに晒されています。しかし、霊的な要素である魂には、時間を超越しているところがあります。私たちの前世は、今尚いきいきと存在しているのです。
過去世を『わたしの過去生』『わたしの記憶』ではなく、
“かつて、同じ魂を生きた同志”
のような感覚で、捉えていくことができたなら・・・。
悩みを抱え、苦しんでいる大親友に耳を傾けるように、自らの魂に触れることが出来るかもしれません。
「こいつのためなら、なんだってできる」というような、無私の想いのような助けが過去生の人格からもたらされることだってあるのです。
ずいぶん前になりますが、SAMのセッションを受けてくださった方がこんな感想をくださいました。
『今まで、わたしは“独り”だと思っていました。
でも、SAMで自分の魂、そして前世人格に触れることができたおかげで、
「私は独りじゃない。」と、どんなときでも思えるようになり、
以前ほど、不安に取り込まれることがなくなりました。』
と。
より大きな意味で“魂”というものを捉えると、大海原の水のように、「ひとつつながり」なのだろうと思うのです。一滴の水、コップ一杯の水、と分ければいくらでもばらばらになるのだろうけれど、もとはそのような「分離」や「境界」などないものなのでしょう。
二元論/非二元論の話にも通じますが、
その“ひとつつながり”であること。
これを「絆」と呼ぶのかも知れない、そう感じています。
あなたが心から欲し、望んでいるのは、
きっと、“ひとつつながり”である。という確信なのでしょう。
わたしたちは独りではないし、神から離れたことはない。
それを忘れることができたとしても、独りきりではなく、離れてもいない。
“忘れていた”ことを認め、思い出そう、とするなら。
それは、今もそこにあるものだから・・・。
魂の深奥にある「我が家」への道を、
本当は誰も忘れてはいないのです。
あなたも。