8月29日封切りで、そろそろ二ヶ月というロングラン大ヒットになる
映画『君の名は。』
遂に興行収入164億円だそうで・・・。
『すごくよかった。』とか『3回も観に行きました。』とか、いろんな声を聞く一方で
「あまり意味がわからなかった。」という声も・・・。
で、そろそろいいかな?という感じで、ネタバレ的考察を書いてみたいと思います。
まだ観ていない。これから観に行こうと思ってる。って人は、ここでストップ。
まあ、読んでから映画を観ても、楽しめると思いますが。
~ 『君の名は。』ネタバレ的考察 ~
以前に、『小説も、いいよね。~『君の名は。』凄いヒットですね。』
という記事を書いてます。小説版もいいですよ。と。その記事の中で
“一葉おばあちゃん”の「ムスビ」の話がポイントなんです。って書いています。
ご覧になられた方はいろいろな疑問が残るかと思います。
映画の中で、宮水家の一葉おばあちゃん、三葉(中身は瀧)、四葉が
宮水神社のご神体のある場所へ行く場面がありますよね。
山頂にカルデラのような窪地、その中央にご神体。
一葉おばあちゃん曰く、『ここから先はカクリヨ。』
隠り世。つまり、あの世のことだと言う。
「此岸に戻るには、あんたたちの一等大切なもんを引き換えにせにゃいかんよ。」
と・・・。
※此岸(しがん)とは、この世、現世のこと
そして、「繭五郎の大火」で失われたものとは・・・?
三葉と四葉が巫女舞をし、“口噛み酒”を作ったあのお祭り。
そのお祭りの前に、一葉おばあちゃんと組紐を作るシーンがあります。
その時に「糸守の、そして宮水家の歴史」のようなものが語られます。
“ワシたちの組紐にはな、糸守千年の歴史が刻まれとる。全くあんたらの学校も、元来はこういう町の歴史をまずは子どもに教えにゃいかんのに。ええか、今を遡ること二〇〇年前・・・。
ぞうり屋の山崎繭五郎の風呂場から火が出て、このへんは一帯丸焼けとなってまった。お宮も古文書も皆焼け、これが俗に言う『繭五郎の大火』。
おかげで、ワシたちの組紐の文様が意味するところも、舞いの意味も解らんくなってまって、残ったのは形だけ。せやけど、意味は消えても、形は決して消しちゃあいかん。形に刻まれた意味は、いつか必ずまたよみがえる。
それがワシら宮水神社の、大切なお役目。”
と。
口噛み酒をご神体に奉納する山登りの最中に、「ムスビ」のお話をおばあちゃんがしますね。
この「ムスビ」は『結び』ではなくて、『産霊』なのです。
※日本神話に詳しい方なら、最初に現れた三柱の神様、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)、神様の名前に「産霊」とあることに気づいたかもしれませんね。
“よりあつまって形を作り、捻れて絡まって、時には戻って、途切れ、またつながり。それが組紐、それが時間、それがムスビ。”
一葉おばあちゃん曰く、糸を繋げること、人を繋げること、時間が流れること、これらはすべて「ムスビ」といい、神様の名前であり、神様の力である。と。
そして、水を飲むこと、米を食すること、酒を飲むこと、何かを体に入れることすべて“魂”とムスビつく。あらゆるところに神様の働きがあるのだ、という・・・。
そして、また別の場面。
瀧が司と奥寺先輩と糸守を訪れ、ご神体の場所へ一人で向かう。
山頂のクレーターのようなカルデラのような、ご身体の場所で、“三葉の口噛み酒”を口にし、転倒してしまうときに、ご神体の祠の天井に見たものは・・・。
赤や青の顔料で描かれた、巨大な彗星の壁画だった。
場面は戻りますが、一葉おばあちゃん、三葉(中身は瀧)、四葉が“ご神体に口噛み酒の奉納“をした日の夕方・・・。
「おや、三葉・・・。――あんた今、夢を見とるな?」
というシーンがあります。そして、瀧がご神体の祠で転倒し、天井の壁画の彗星を見たあと
再び、三葉の身体に・・・。一葉おばあちゃんの少女の頃の話を聞かされます。
一葉おばあちゃんも、一葉おばあちゃんのお母さんにも、三葉、四葉のおかあさんにも、瀧と三葉のように、“入れ替わりの夢”のような体験があった。という。
ここまで、ざっとあらすじを(順序通りではありませんが)書いていますが、重要なポイントになるところをいくつかピックアップしています。
そして、ここからは推論・考察です。
1. 糸守は1000年以上まえに、彗星が来た時に、隕石が落ちた町である。
(作中ではティアマト彗星は1200年周期で地球に最接近すると、言われています。)
※ちなみにティアマトは、メソポタミア神話の創造の女神であり、きらめく姿や竜の姿で描写されます。
2. 『繭五郎の大火』で失われたものは、1200年周期でまた、彗星のかけらが落ちてくるかもしれない。という警告を後の世に伝えるための古文書、舞いの意味を解釈するヒントが記されていたであろうものであった。
3. 1200年前の隕石落下によって、大きな被害出でた昔の糸守(平安時代初期)にその被害で亡くなった多数の魂を弔うためと、彗星(隕石)に対する畏怖の念から、ご神体が隕石落下地点である山頂のクレーター中央に祀られ、祠(ほこら)が作られた。
4. 宮水家は代々、神社を守り、その「隕石落下の警告」を守り、後の世に伝えていく使命を“家系的なカルマ”あるいは“一族の使命”のようなものとして受け継いで来た。その家系に誕生する娘は、“ムスビ”によって自らの魂を“口噛み酒“として奉納して来た。
5. 中学時代の(3年前の)瀧は、三葉の組紐を受け取ることで「ムスビ」つき、後に“糸守町彗星災害”の全貌がわかる状態になるころに、その「ムスビ」(入れ替わり)が現れ始めた。
※3年後、というのは、被害の全貌がはっきりわかる必要があるために、“瀧が未来から戻ってくる”ような感じになっているわけです。同じ時代に生きていたなら、あらかじめいつ彗星のかけらが落ちてくるのか?なんてわかりませんから、事前に避難することも不可能です。
6. 三葉の生きた時間(彗星来訪当日)に、ご神体の山頂で瀧が瀧として、三葉が三葉として、出会えたのは、瀧と三葉が“組紐”だけでなく、口噛み酒ででも「ムスビ」ついた(三葉の口噛み酒を瀧が飲んだ)から。
糸守の言葉で「カタワレ時」の説明が、三葉の学校でユキちゃん先生が説明しています。
※余談ですが、ユキちゃん先生は『言の葉の庭』の雪野先生です。
“逢魔が時”とも言われる時間帯、夕暮れ時、黄昏時のことなのですが、「誰そ彼」「彼誰ぞ」という、「薄暗くてあの人が誰かわからない」時間帯を指しています。が、「時を越えて、魂がムスビついた人に出会う時」という、糸守独自の意味があり、この地独特の万葉言葉、方言として『カタワレ時』という言葉が残っていると考えられる。
7. 再び来る彗星(隕石)の災害から糸守の民を救う。という1000年越しの目的が達成され、三葉たちが現世に生きている未来へと時間がシフトします。が、そのことが成功しているのかは瀧は、意識ではわからなくなっていますね。でも、魂のどこかで「片割れ」を感じ続けていまました。
三葉が生きている(甦った)からこそ、完全に忘れることがなかったのだと考えられます。
(魂のつながりが、「現世」においても継続しているから、と。)
宮水の巫女(三葉のおかあさんの二葉、一葉おばあちゃん、一葉おばあちゃんのお母さん)が受けついで来たが忘れてしまう彗星落下の警告は、三葉と瀧によって成就するように受け継がれたのでしょう。
以上、ナグ☆による、映画『君の名は。』ネタバレ的考察でした。