「自分」を表明している。ということ。 | 過去生ツインソウル・メソッド®︎&ツインソウル・ヒーリング®︎ Primaria☆Stone

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“魂のメッセージ”を読み解く過去生ツインソウル・メソッド®︎、“魂の絆”を深めていくツインソウル・ヒーリング®︎のナグ&プリマリア【Primaria☆Stone】

今朝のケイシーのメッセージはタイムリーだと感じた。



先日、ある場所でその方の姿を拝見することがあったのだけれど。

個人的にはほとんど交流も無く、1年半くらいまえに

その方のサロンで開催される講演に参加させて頂いただけなので、

実質2度目のお姿拝見、ということなんですが、

初めてお姿を見かけた時とは比べられないくらいに

“雰囲気”が変わっていたので、正直驚いていました。
(え?!この人、ヒーラーなんだよね?と言う感じでした。)


その方は引越しをされる、ということを風のうわさで聞いていたのですが。


縁とは不思議なもので、真実を知りたいと思い続けていれば、

必ず“知るべきことは知らされる”のだな、というもので、

事の顛末を耳にすることとなった。

(“聞いておきなさい。そうならぬように。”との『声』なのだろう。)


一体、何の話なのか?と、この日記だけではわからないと思いますが、

そのように書いているのでご了承くださいませ。


以下、ケイシーのリーディングからの「今日のメッセージ」です。

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あなたを酷く扱い、さまざまな所であなたの悪口を言いふらす人を、

あなたが心と精神をもって許すなら、他人のあら探しをする人々は、

ついには彼ら自身のうちに欠点を見出すことになります。

なぜなら、彼らは自分自身の魂の記録を綴っているからであり、

彼らが人について言いふらすことは、彼ら自身で出遭わなければならなくなるからです。


But if the heart and mind forgive those who despitefully use them,

those that speak evil in divers places, those that find fault with others

will find fault in themselves; for they are writing their own record -

they must meet, every one, that which they have said about another.

(487-17)

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「自尊心」を持つこと。

これはとても大事です。

“自信が無いんです”と、本来自分が持っている才能や能力、

素質を発揮できず、苦しんでいる人もいます。

そうした自分を超えていくために、自分を認めるということの大切さを

セラピーをしている人はいつも伝えています。

“自信を持って!”というのは、「励まし」に聞こえるもので、

言う側としても“言いやすい“言葉なのです。




「謙虚」であること。

このことも、多くの方がお話しされています。が、この部分については

“不特定多数”に向けて書かれている、話されていることが多いと

僕自身は感じています。

目の前のその人の懐へ向けて、返り討ちに合うとわかっていながら、

“覚悟”を決めて切り込んでいく。『あなたのことですよ。』と。


そんな思いで“謙虚であること”を説いてくれる人は少ない。

たいてい、そんなことを言うと「自分を否定された」と受け止められて

“ひどい!”とか、言われてしまうことさえある。



“謙虚な振りをした傲慢さ”

“自信の無さの裏側に隠れた慢心”


というものがあります。

“弱い犬ほどよく吠える”という、言葉がありますが、

“自信の無さを隠すための虚勢”というか、

表面的には、威張り散らしてみたり、他人を威圧するような態度を

とってみたりするけれど、内心はとても臆病である、と言う人っていますよね?


そんな感じで、意外に「内と外」では“逆”になっていることって、

たくさんあります。



ある人の発言や、その人を取り巻く“物事”や”出来事”の

起こり方を見ていると、まさに、ケイシーの言うとおり。



ある人が、誰かに対して架空の話を作ってまで非難したり、

根拠無く、感情的に、事実を無視した誹謗中傷している姿を見る時、

僕にはその人自身の「自分の在りよう」を表明しているように見えるのです。



そして、実際、言っている本人がそのようになっていきます。



“自分のところに流れてきているもの”

『恩恵』や『賜物』というようなもの、まさにギフト。

それは、物質的なものであれば分かりやすいかもしれないけれど、

目に見えないものであれば、その“流れ”を感じ取り、

乗っていくことは意外に難しい。素晴らしいのはその“恩恵たち”で

自分の力だけではない、ということを人は忘れやすいもの。



“縁”のつながり。


その“縁”こそが、すべてをもたらしてくれる。

それに気付けない“不義理”な人は多い。


むろん、自分を含めての『戒め』として。


自分自身も、ここへ来るまでに数々の“不義理”をして来た。

振り返って、心底「私が悪うございました。」と額を床にすりつけたくなる。

そんな自省があってこそ、真の意味での“感謝”を感じられるだろう。