えむのすけの育児ブログ<脳症・発達遅滞・症候性てんかん> -5ページ目

えむのすけの育児ブログ<脳症・発達遅滞・症候性てんかん>

二人の子育てと
脳症、発達遅滞と症候性てんかん
その後の発達について

隣県の山あいにある医院に初診の日、
医師の治療法に驚いた。
「洗わない」
「何も付けない」
「閉鎖させておく」
そして、痛くない。
D医大病院でやっていた治療と全く逆だった。

あまりに違いすぎる。
あんなに洗えと言われていたのに。
あんなに閉鎖させるなと言われていたのに。
この治療法で治るならば、今まであんなに痛い思いをさせて洗ったり塗ったりして泣き叫ばせたことは何だったのだろう。

もしかしたら、痛くない分治りが遅いとか?
そもそも閉鎖させて感染は大丈夫なの?
医師に尋ねると、
「この方が、早く治るし痕が残りにくい」
「感染はしていない、患部の湿潤環境が適切に保たれていれば感染のリスクが上がることはない」
と言う。

あまりにあっけらかんと当然のことのように言うのでかえって不安になったが、
この医師のことを信じたいと思った。
「痕、瘢痕拘縮、ケロイドが残るかもしれない。皮膚移植も考えて」
と言う医師より
「痕が残るかもしれないけれど大きくは残らないと思う。皮膚移植は必要ない」
と言ってくれる医師を信じたいのは当然だろう。
この二つは、内容は殆ど同じことを言っているのは分かっているのだけれど。

翌日、朝からまた受診すると、受傷以降初めて「回復している」と思うことができた。
今まで一週間、回復していると感じたことは一度もなかったが、この日は受傷部の大きさこそ変わらないものの、赤みが少なく炎症が治まってきた印象であった。
ますます、この先生にお任せしたいという気持ちが強くなり、シオちゃんにも自信を持って
「痛いことをする病院には、もう二度と行かないよ」
「入院は絶対にさせないよ」
と言うことができるようになった。


医大附属病院というのは、どこでも最新で最善の治療をしてくれるのだと思っていた。
町の医院ではできないような技術で最先端の医療を受けられるものだと信じていた。
しかし今回の件は、必ずしもそうではないと思わせられるような出来事であった。

処置は一日一回。
医院で処置してもらったら次の日まで閉鎖させたまま受診すれば良いのだ。
毎日、朝から準備して隣県の医院まで高速道路で向かう。
三日間は毎日通って、と言われた通りに通院した。
四日目の処置が終わると医師は、
「一度、家で処置してみよう」
と言う。
大丈夫、簡単だから、と処置に必要なものを用意してくれた。
穴あきポリ袋、ペットシート、包帯まで持たせてくれた。
左腕の浅い傷にはハイドロコイドの被覆材を貼っていたので、その残りも持たせてくれ、張り替えるように指示された。

二日間、自宅での処置。
うまくできなかったら急に悪化することもあるのじゃないかと不安を感じた。




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年明けの実感もないままに年が明けてしまいました。
我が家では夫は仕事、大掃除もなく、お節つくりもなく、年末特番も観ない、普段と変わらない日です。
私事ですが昨年12月でブログを始めて丸一年になりまして、昨年は本当にブログで関わってくださる皆様のありがたみを感じた一年でありました。
いいね!をいただいたり、コメントをいただいたりすることが、日々の生活を送る上でたいへん励みになり、支えになりました。
ここに御礼申し上げます。
年末より自身の体調を崩しており、思ったように時間が取れずに皆様のブログにコメントをすることができなかったことがたいへん心残りです。

今年は、同じ病気や後遺症などと頑張る方とリアルな世界で繋がることを目標にしております。
ブログでは、脳症の後遺症とマトちゃんの発達について分かりやすく記録していきたいと思っております。

面白いことも書けないブログですが、本年もどうぞ宜しくお願いいたします。






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高速道路に乗るのは数年ぶりだった。

子どもが産まれる前は県外へ高速道路を使って遊びに行ったものだが、子どもが産まれてから、特にマトちゃんが脳症に罹ってからは殆ど遠出をしたことが無い。
高速道路に乗るのが本当に久しぶり過ぎて、油断すると時速80km程に速度が下がってしまい、アクセルを踏み続けるのが難しかった。

iPhoneにナビをお願いし、行ったことのない町を目指す。
この時、わたしの中は不安な気持ちでいっぱいだった。
理由の一つは
「熱傷の治療は医師によって治療法がかなり違うので、他の病院に行くと治療の統制が取れなくなってしまう」
「親御さんも迷ってしまうと思いますよ」
「これほどまでに酷い熱傷だから、他の病院では見ただけで断られてしまいますよ」D医大病院の医師からそう言われていたからだ。

シオちゃんの傷を見て無理だと断られたらどうしよう。
今度の先生は信頼できるだろうか。
もしシオちゃんにとってマイナスになるような治療をされたらどうしよう。
大丈夫だろうか、大丈夫だろうか。

目的の病院がその日の午後は休診で、午前の診療時間に間に合わせなくてはいけないことが余計にわたしを慌てさせた。
D医大病院の診療が終わったのが10時頃だったので午前の診療に間に合わせるためには途中で道を間違えることはできない。
不安だらけだった。

シオちゃんは感染だと疑われた日辺りから右腕受傷部を痛がることが多かった。
痛い痛いと泣くので頓服でもらったカロナールを飲ませていたが、あまり効いていないようであった。
初めて見る風景の中を走りながら、シオちゃん、もう少しだからね、と声をかけると、「ウン、うでがいたい…」と弱々しく言った。
痛いの、取ってあげるからね。
もう、痛いことしない先生のところへ行こうね。
と続けて声を掛けたが、シオちゃんは力なく「ウン…」と応えただけだった。
わたし自身、これから行く医師のところで診てもらえるのか、納得できるのか、わからずにいたので、自信を持って伝えられないことが情けなかった。

インターチェンジを降りると一般道路を更に20分ほど走って、小さな町の医院に着いた。
隣県の山あいにある整形外科だ。

午前の診療時間に間に合ってホッとしたが、予想と違って驚いたことは、この医院がたいへん空いていたことだ。
インターネットで見たところ、立派なホームページを持っていたので相当な人気のあるお医者様で何時間待ちなのかと勝手に思っていた。
普段、小児科ばかり行っているのでその感覚で考えていたのかもしれない。
受付を済ませると、ほんの10分ほどで診察室へ呼ばれた。

今日はどうしたの?という男性医師に、火傷です、電気ケトルで、と説明する。
医師が「ちょっと見せてね~」とシオちゃんの包帯を取ろうとすると、シオちゃんは何もされる前から
「イヤーっ!いたい、いたい!」
と大粒の涙をボロボロと溢して泣いた。
看護師さんがあらあら、と涙を拭いてくれる。
医師は、
「だいじょうぶだよ、先生、痛いこと、しないよ」
と優しく言った。

痛いことをしないと、言ってくれた。
この一週間、自分の中で揺れ動きながらも、苦痛を伴う処置は避けられないと諦めていた気持ちがあった。
大丈夫だよ、頑張ろうね、と声をかけながら我が子が泣き叫ぶ姿を見るときは、心を無にして臨んでいた。
淡々と処置をする医師は痛みを感じないから辛くないのは当然だろうが、子どもが痛い思いをするのを見る親の辛さも解らないのだろうと思っていた。
それが、この医師は、痛いことはしないと言い切ってくれた。

医師は、シオちゃんの包帯を鋏で切るでなくクルクルと外していった。
包帯、ガーゼ、シリコンガーゼを外すと、白と赤の混ざり合った患部が見えた。

医師は、D医大病院での処置について聞くと、
「このクリームを塗るとね、痛いの、だから取っちゃおうね」
と、べったり塗られたアズノール軟膏を濡れガーゼで拭き取り、処置をしてくれた。
処置が終わると医師は、もう痛くないでしょう?と言った。
シオちゃんを見ると、ウン、とうなずいている。
あまりにも簡単な処置で、本当に良いのか、大丈夫なのかと不安になるくらいだった。

医師に、D医大病院にて感染していると言われた旨を伝えると、
「感染はしていないよ!」
と即答だった。
やっぱり…!と安堵する気持ちだった。
熱も出ていない、患部の発赤や腫れもない、これでどこが感染の兆候なの、と医師。
「これからは石鹸で洗わなくて良い、消毒は絶対にしないで」
「痛くなければ入浴して良いが、しなくても構わない」
D医大病院と言っていることがあまりに違うので大丈夫か不安になったが、後遺症について聞いた時、
「このくらいの火傷だと深いからなあ…痕が残るかもしれない」
「でも、そんなに大きくは残らないと思うよ」
と言ってくださったことで、この先生にお任せしようと決めた。
植皮についても、必要ないよ!とハッキリ言ってくださった。
痛い思いをさせないで済む、植皮もしなくて済む、そう思えば、高速道路を使って片道一時間以上の距離も時間も、なんということはないと思ったのだった。








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感染するということは、身体全体に細菌が繁殖して敗血症などの危険があるということだ。
怖い。
これ以上酷い思いはさせたくないと思った。

自宅での処置用品を買って自宅に帰り、いつ処置をしようかと悩みながら過ごしていると、夕方に実母が来てくれた。
夕食のおかずや買い忘れていた調味料などを買って持ってきてくれたのだった。
ほんとうにありがたかった。

母にマトちゃんを見ていてもらって、シオちゃんの処置をすることにした。
一緒に入浴しようと誘うと
「え…?ほうたいしているのに、いいの…?」
と不安気だ。
「いいんだよ、お母さんとお風呂に入らないと病院にお泊りになっちゃうと言われたから入るんだよ」
お母さん、シオちゃんと絶対に離れたくないからおうちで頑張ろう、と伝えるとシオちゃんは浴室に向かった。
浴室で包帯や被覆材を剥がすと、シオちゃんは
「い、いやだよ!いたい、いたい!」
と大粒の涙をボロボロこぼして訴えた。
「おかあさん、やめて、やめて」
やめてと言われてもやめられないのだ、やるしかないのだ、シオちゃんの涙を見ないようにしながら買ってきたばかりのベビーソープの泡を沢山出して右腕の内側に乗せた。
「いたい!いたいよーっ!いたいよーっ!」
ゴシゴシ洗えと言われた通り、掌で擦った。
受傷以来初めて触れる患部は、こびり付いた皮のザラザラした感触と、感染と言われたゼリー状のツルツルした感触だ。
「いたい!もうやだ、もうやめて、いやだ!もういやだ!」
シャワーの水流で勢いよく流せと言われたので、ジャージャーと流した。
「おかあさん、おかあさんもうやめて、やめてよ」
真っ赤になってしゃくりあげながら涙を流し泣いているシオちゃんを前に、
もうやめてあげたい、という気持ちと、やらなければ入院させられてしまう、という気持ちがせめぎあった。

浴室を出て、温かいストーブの前に横にして処置をした。
シオちゃんは痛みと恐怖に寒さが加わり
「う~~、う~~っ」
と呻きながらガタガタと震えていた。
シオちゃんにタオルと毛布をかけ、わたしはバスタオル一枚ひっかけた格好で処置を急いだ。
患部をガーゼで拭い、フィブラストスプレーを噴霧。
アズノール軟膏をべったりと付けたラップキュア(穴あきポリエチレンフィルムに不織布が挟まっている被覆材)で覆う。
ガーゼを当てる。
包帯でぐるぐる巻きにする。

処置が終わるとシオちゃんはわたしにぎゅっと抱き着いて、おかあさん、おかあさんと泣いた。


わたしは、選択をしなければならない時期にあると思った。

家で処置をするのか。
入院させるのか。

入院させるなら個室が良いのか。
大部屋が良いのか。

担当医はこのままで良いのか。
別の医師が良いのか。

治療法はこのままで良いのか。
別の方法が良いのか。

D医大病院で良いのか。
別の病院が良いのか。


12月9日。
この時点で受傷五日目だった。
熱傷の予後は、受傷初期に受けられた治療によって大きく変わると思っていたので、早く決めねばという焦りがあった。
もしかしたら今更かもしれない。
今まで信じたい気持ちと信じられない気持ちが二つともあって、自分の中に迷いがあった。
迷っていたから自信が持てず、かと言って医師の言葉も信用できず、グラグラだった。
そんな状態で一週間近くも過ごしてしまって今更かもしれないけれども、自分の納得できる治療法や医師がいるかもしれないとこの時強く思った。

帰宅した夫に、入院を薦められたこと、自宅で処置すると伝えたことを話すと、
「自宅でできるのか?」
と言われた。
「できないのなら、俺は病院に入院させてお任せしたほうが良いと思う」
この人は病院を信じきっていた。
熱傷についてインターネットや文献で調べることもせず、言われたことが最善だと信じている。
天下の大学病院様に間違いがあるはずないと思っているのだ。
「わたしは任せられない。入院したらたぶん皮膚移植されちゃうよ」
「適当にやって、ダメなら植皮すれば良いという気持ちで治療をされたくない」
夫はうーん、と唸った。

ずっと、考えていたことを決心して伝えた。
「別の医師の話を聞いてみたい」
全く違った病院の先生に話を聞いてみたい。
治療法に納得できれば転院したい。
東京の病院に一度かかってみたい、と言うと夫は
「それは難しいだろう、通い続けられるのか」
と難色を示した。
通い続けられるかは後から考える、とにかく一度他の先生の話を聞きたい、安心して納得できる治療を受けたい、と伝えると
「君は言い出したらもう決めているんだろう。良いけれど、たまには俺の話も聞いてくれよ」
夫は不満気だった。
別の病院なんかに行ってどっちつかずでフラフラするのじゃないのか、
遠い病院に行って通い続けられなければまた元の病院に戻ることになるのだ、
インターネットなんかで調べて知識を得たつもりかもしれないが、君は素人なんだ、責任は取れるのか、
次から次へと批判されても、もう気持ちは決まっていた。
そうだね、わたしがんばるよ、と夫に言い床についた。

夫にわかってもらえない、そう思うと悲しくもあり、本当に娘にとって最善なのは何なのか調べもしないことに腹立たしい気持ちもあった。
わたしが、シオちゃんを守るのだ。
スヤスヤと眠るシオちゃんの顔を眺めながら強く思った。

翌日、また朝から受診して処置を行った。
この日は主治医が居らず別の医師が診てくれたので、疑問をぶつけた。
この医師の回答次第でこの先のことを考えようと思った。

感染しているのは間違いないのでしょうか、と真っ先に聞くと
「少なくとも細菌が悪さをしているのは間違いない」
「ただ、受傷初期に火傷の深さを判定するのは非常に難しいので、感染したから傷が深くなったのか、若しくは最初から深い傷だったのかを判断することはできない
と医師は説明した。

感染を起こしている、と言わない。
その後の説明も合わせると、感染を起こしているわけではないということだと思った。

処置に関しては、主治医と同じ回答だった。
「毎日何回か患部を洗って清潔にしてこれ以上細菌に悪さをさせないように」
「いま一番やってはいけないのは患部を閉鎖させることです。湿潤療法などは絶対にしないように」

「前回見たときは浅達性二度熱傷とお伝えしたが、今はかなり深く見えます。深達性二度熱傷なのは間違いない」
そういう医師に痕の残り方について聞くと
「瘢痕拘縮は避けられないでしょう、手首に関しては動きの制限も出るかもしれません。ケロイドになる可能性もあります。皮膚移植も考えてください」
と言われた。
瘢痕拘縮、ケロイド、機能の制限、いずれにしてもそのための手術や治療法がありますから、頑張っていきましょう、と医師は続ける。
「上皮化まで六週間ほどでしょう、フィブラストスプレーには瘢痕拘縮を予防する効果もあるので必ず使ってください」
そう説明を受ける頃、シオちゃんの処置が終わった。
今回もギャンギャンのギャン泣きで本当に辛く、「もうやめてください!」と言いたくなるような気持ちだった。


診察室を後にする。
『瘢痕拘縮は避けられない』
『動きの制限も出る』
『ケロイドになるかもしれない』
『植皮をする』
医師はそれらを、高い確率で起こると説明した。
それが起こっても治療法がある、頑張りましょう、ともう決まっているかのように言った。

もういてもたってもいられなかった。
この日は12月10日で、受傷から六日目。
明日までなんてとても待てなかった。
D医大病院からすぐのインターチェンジから高速道路に飛び乗った。





コメントやメッセージをありがとうございます。
今週末にはまとめてお返ししたいと思っております。



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12月7日。
受傷から四日目のこの日から二日間、自宅で処置をすることになった。

処置の方法は、
⚫︎ベビーソープで洗う
⚫︎シャワーボトルで泡を流す
⚫︎フィブラストスプレー噴霧
⚫︎エキザルベ軟膏を塗った非固着性シリコンガーゼで覆う
⚫︎厚みを持たせたガーゼで包む
⚫︎包帯でぐるぐる巻きにする
↑を一日一回行う。
と教わったが、
ベビーソープで洗うのは余りにも痛そうで、泡を落としきれるか不安だったので、石鹸は使わずぬるま湯で流すだけにした。
石鹸というのはアルカリ性なのだから、せっかく皮膚が出来てこようとするのを阻害するような気もしていた。

また、非固着性シリコンガーゼは院内の医療用品店に売っていなかったので、
代わりに医師に勧められたラップキュアという被覆材を使った。
これは、穴の空いたポリエチレンフィルムにガーゼが挟まっているもので、患部を適度な湿潤環境下に置きながら、過湿潤にならないようにポリエチレンフィルムの穴から浸出液をガーゼに吸わせるというもののようだ。
シリコンガーゼは非固着性といってもやはり多少は患部にくっ付く感じがしたが、このラップキュアはずいぶん付きにくいように感じた。

受傷してから二日連続で朝一番の受診をしていて、昼間はシオちゃんにべったりで家事も出来ておらずに家の中もゴチャゴチャだったので、
この二日間は少しのんびりと家の片付けをしようと思っていた。
昨日、医師に浅達性だろうと言われたことがわたしの気持ちをずいぶん楽にしてくれた。
二週間ほどで上皮化して痕もあまり残らないというし、それに受傷四日目ともなると、浸出液でドロドロの患部も自由にならない包帯姿も見慣れてきていて、
あと二週間ほどの辛抱で元の生活に戻れるという期待と希望があった。



その、二日間の自宅処置を終えた、翌日の火曜日。

また朝一で予約が入っていたので早起きして向かいたかったが、この日はシオちゃんがなかなか起きて来なかったために病院の受付を済ませたのは予約時間を五分ほども過ぎてからだった。

名前を呼ばれ、診察室でまた処置を受ける。
シオちゃんは包帯を取る前から泣き顔だ。
「先生、先の尖った鋏が怖いようなので、丸いもので切って貰えませんか」
シオちゃんは、多少ホッとした様子だったが、ラップキュアを剥がす頃にはギャンギャンのギャン泣きだった。

と、被覆材を剥がした医師が「ん?」と怪訝そうな様子を見せた。
「お母さん、このあたり、いつからこんな黄色い感じですか?」
先生の示すのは手首から肘までの間の部分で、昨日自宅で処置した時まではずっと赤と白のまだらだったと思っていたが、
この日は黄色いゲル状のものがその中央部を5cm×10cm程度、これまたまだらにくっついていた。
「二日前に診たときは、全体的に赤かったんですよね。でも今見たこの感じはすごく深くなっているように見える」

医師は隣の診察室から先輩なのか別の医師を呼んでくると、
「二日前までは赤かったのに、二日ぶりに見たらこうなっていた。感染でしょうか」
と聞いた。それを聞いた隣の診察室の医師は「うん、感染だろうね」とあっさり言った。

「お母さん、家での処置はちゃんとできていましたか?」
責めるような口調だ。
「できていた…と思うのですが」

「もし自宅でちゃんと処置ができないようでしたら、入院していただいてこちらで処置します」
できていたと思うと言っているのに。
何故感染してしまったのかと尋ねると、きちんと処置ができていなかったからだと繰り返して言う。
ステロイドを使っていたことで抵抗力が低くなったのではないか、と聞くと、
「あの時は浅い傷のようだったので薬の選択は間違えていない、今の状態なら使わないが」
というようなことを言った。

今後の治療方針については、
⚫︎ステロイド(エキザルベ軟膏)を中止しアズノール軟膏に変更
⚫︎一日二回、患部をベビーソープでゴシゴシ洗ってシャワーでしっかり流す
⚫︎抗生物質(フロモックス)服用
を自宅でできるなら自宅で、できないなら
入院で行う。
「最善の方法はどちらですか」
と尋ねると、入院しての処置だと言う。
しかし、今日の処置を見ていると、ゴシゴシ洗うどころかベビーソープの泡をチョッと付けてシャワーボトルでチョロチョロと流すくらいで、
入院したらちゃんとゴシゴシ洗ってくれるのか疑問だった。
それに、また瘢痕拘縮や植皮の話を持ち出してきた医師に対して不信感が芽生えてきた。
医師は言った。
「二週間程度の入院だと思ってください。その後に植皮が必要となれば、更に二週間から三週間の入院となります」

「この人たちは、”治りが悪かったら植皮すれば良い”と思っているのではないか?」

受傷当初から、こんな小さい子に植皮はさせない、と思っていた。絶対に温存、保存的処置でお願いしますと医師にも伝えていた。
しかし、形成外科という診療科の得意とするところは外科的治療なのであって、保存的処置は手術を行う前置きに過ぎないと考えているのではないか…。
その二週間を、植皮にさせないために力を尽くす期間にはしてくれないということではないか…。

そう考えたら、可愛い我が子を入院させることがとても怖くなり、今日は連れて帰ります、と病院を後にした。
夫にも相談しようと思った。

医師は、明日も明後日も朝一で受診してくださいと言う。今が大事な時だと。
そして明日からでも入院できますよと。

ああ、しかし感染、何故。
処置ができていなかったからと言っていたけれど。

でも本当に感染しているの?
患部が腫れているわけでも熱が出ている訳でもないのに?
このままで大丈夫なの?
感染させてしまってシオちゃんに申し訳ないという気持ちの他に、疑問と不信感が次々と湧き出てくるのだった。


※※※
追記
※※※
この記事で、思い違いをさせてしまった方がいらっしゃったようで、申し訳ありません。
メッセージなどでの指摘をいただきました。
順次アップしていきますが、後日、感染は全く起きていなかったことがわかります。
この記事を読んで「石鹸を使わなかったから感染した」と思った方がいらっしゃったとすれば、それはわたしの文章力と説明の欠如のためです。
今後の記事と合わせて本来お伝えしたいところは
「石鹸で洗わなくても感染しない」
ということです。

今後、同じような思いをする親御さんが「石鹸で洗わないと感染を起こす」という間違った知識を信じないよう、分かりやすく記事を書くべきでした。








コメントやメッセージを本当にありがとうございます。
なかなか返せないことが心苦しく申し訳ない気持ちでおります。
もう少ししたらお返しできる予定です。

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