ヨーロッパの栄華を極めたハプスブルク帝国の最大の敵はオスマン帝国でした。
当時ハンガリーまではオーストリア、ハプスブルク帝国の領土で、その東にはコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)があり、ここが東ローマ帝国の首都でした。
オスマン帝国(現在のトルコ)の進軍により、コンスタンティノーブルがオスマン帝国に堕ち、キリスト教文化からイスラム教分化へと変わっていきました。
現在のイスタンブールのブルーモスクやアヤソフィアはキリスト教教会だったところを、4つの塔を造りモスクへと変えられました。
トルコをご紹介した際に、中の様子も掲載したかと思いますが、キリスト教絵画やモザイクが残されています。
歴史的には宗教改革という側面もありましたが、キリスト教文化が東西に分断されそれが現在まで残っているわけです。
東方キリスト教としては、ロシア正教、ギリシャ正教などがあり、西方キリスト教はローマ・カトリック教会になります。
後に、宗教改革でローマ・カトリック教会から幾つかのプロテスタント教会ができていきました。
これについては、また別の機会に詳しくご紹介したいと思います。
さて、ハプスブルク帝国は西はスペインからという広大な地域を支配していたこともあり、芸術・食等様々な文化がオーストリア・ウィーンへと持ち込まれました。
様々なルーツが実はオーストリア・ウィーンが発祥であることが少なくありません。
例えば、イタリアのミラノ風カツレツ、コトレッタ・アッラ・ミラネーゼ(Cotoletta alla Milanese)はウィーンの名物料理のウィーンナー・シュニッツェルが起源だとか。
コーヒーはアフリカからウィーンへ、そしてヨーロッパ中へ広がったものです。
オーストリア政府観光局の方から、とても面白いエピソードを伺いました。
それは、パリを代表する「クロワッサン」です。実はこれもウィーンが発祥で、形を良く見てください。
クロワッサンはバターを多く使用しますので、当時高級品だった事が想像できます。また、三日月型をしています。
これは、先のハプスブルク帝国の脅威だったオスマン帝国の国旗が「赤に三日月と星」(現在のトルコ国旗に面影を残します)、脅威だったオスマン帝国(三日月)を食べてしまえ!ということで作られたと言われているそうです。
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