好きなNBA選手紹介 ラリーバード その6 | かつぼうさんのブログ

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お騒がせレッズサポーター・かつぼうさんのブログです
レッズの事はもちろん、最近ハマっている音楽や我が家の飼い猫、
大好きな歴史の事等を「軽い暴言」を含めて(笑)書いていこうと
思っています。なにとぞ生暖かい目で見て下さい。

最終回の今回は、「かつぼうさんは、何故ラリー・バード(以降「ラリー」と記載)が好きグリーンハーツなのか?」です。長くなりますし、個人(かつぼうさん)の感想が多いので.....。その5までと比べれば、あまり読まなくてもいいかも(笑)てへぺろ

 

かつぼうさんがラリーを知ったのは、高校に入ってからです。高校に入って暫くの間だけですがバスケ部バスケに入った事があり( 運動するとすぐに息切れする事が多いので諦めた ← 心肺機能があまり強くなかったのだと思う )、またメディア(当時は新聞やバスケ雑誌でしたが)でラリーの名前を目にする事が多かったのです。

 

その頃、もう神様ジョーダンはNBAに降臨していましたが、まだ本格的なご活躍前。ですが、当時のNBAには既に驚異的な身体能力を持った黒人さんの選手は十分多く、かつぼうさんは「黒人さんみたいにはなれないな」とすぐに思いました。

 

ですが、そんな驚異の身体能力がある黒人さんが多い中で頑張っている白人選手がいました。

 

それが、ラリー・バードでした。

 

黒人さん程身体能力が高くないのは、見てすぐにわかりてへぺろました。高く跳べないと言われていますが、当時見た限りではあまり跳んでさえいなかったと思います。バードって名前が悪いシャレえーに感じました。また、足も遅かった。ラリーが走るときは、脳内で「ドタバタ」という足音が再生されていましたよ(笑)。ボールのハンドリングもあまり上手く無さそうでしたし、シュートのフォームもお世辞にも綺麗とは言えない。

 

上にも書いた通り、黒人さんみたいな選手にはなれないけど、

 

頑張ればラリーみたいな選手になら、なれるのでは?

 

と思いました。で、頑張りました。上に書いた通り、どうも若いころはあまり心肺機能が強く無かった様で、運動するとすぐに息切れしてしまってバスケ自体を諦めたのですが。バスケを辞めた後も、もちろんNBAは見ていました。

 

ここで今更書くまでもなく、ラリーはバスケの天才ではありませんが努力の天才です。学生時代から大変な練習好きは有名で、それはプロになってからも全く変わらなかったそうです。上にも書いた通り、身体能力は低いです。2m6cmの高身長なのに助走を付けなければダンクが出来ない程、跳べません(ボールがリムに当たってしまい弾かれたと言う、「ダンクの失敗」も何回か見た事が...)。早くは走れません。ですが、その大変な努力により得た経験でベストポジションでリバウンドを取り、相手を引き付けてフリーの味方にアシストのパスを出し、ルーズボールに怪我を恐れずに飛び込み、鈍足(言い過ぎ?)なりにコート上を走り回ってフリーでシュートを打てるポジションを探していました。

 

上に「お世辞にも奇麗とは言えないてへぺろ」と書いたシュートフォームですが、1回ボールを肩に担ぐ様な仕草をしてから繰り出されていました。へんてこなフォームからのシュートでした。ですが、それがめっちゃ高い確率で決まっていました。これも努力の賜物キラキラでしょう、野投成功率は高かったですよ。特に大一番では、へんてこフォームのシュートが外れたのを見た記憶がありません。弛まない努力により、身体能力以外の力を伸ばしていったって感じでした

 

また、バードという名前の通りコートを俯瞰しているかの如く把握。試合のコントロールが非常に上手い選手でした。例え局地戦で負けても、試合全体では勝つキラキラ。そんな武田信玄公や豊臣秀吉公の様な戦略/戦術眼を持っている選手で、これは今のNBAでもあまりいないタイプ乙女のトキメキです。まさにリーダー、もっと言えば、コート内でのHCです。歴代のHCは楽ウインクだったでしょうね。

 

以上の事から、

 

跳べない、走れない、負けない選手

 

と言われていたそうです。そして、ラリーの事を知れば知るほど、

 

ラリーの様な選手にこそなれない

 

と思いました。

 

現在のNBAでは、複数のポジションが出来る事は当たり前です。ラリーの現役時代はそう多くはありませんでしたが、ラリー自身は当時複数ポジションが出来た少ない選手の一人。フォワードでありながら、ガードの様にフロントコートへのボール運びもしていました。「ポイント・フォワード(フォワードの位置でゲームを作る選手)」のはしりだったと思います。

 

バスケへの真剣でひた向きな姿勢にも、個人的には好感が持てました。ラリーのチームメイトだったFWケヴィン・マクヘイルにとって、「バスケは人生を楽しむ手段」だったそうです。もちろん、そういった考えを否定しません。それだって正解です。ですが個人的にはラリーの「バスケこそ我が命」という姿勢の方が好きでした。

 

ラリーを語る上では、必ずマジックジョンソンの名前が出ますが、そのマジックとのライヴァル関係はNBA史上最高のそれなのではないでしょうか?この2人のライヴァル関係は、ミュージカルにもなっています。本文にも書きましたが、ラリーは現役時代あまり親しくマジックとは付き合っていません。「親しくなってしまうと、以前の様には戦えない」というのが理由で、それはマジックを誰よりも認めていた何よりの証拠。ラリーは新聞でマジックの個人成績を見る事が日課だったそうですし、マジックはカレンダーでセルティックスとの対戦の日に〇印をつけて楽しみにしていたそうです。上に書いた様にプロになってからも練習熱心だった理由は、「マジックには絶対に負けたくないドンッ」という思いもあったのでしょう。

 

 

実際、30代半ばになって腰や背中の痛みが慢性化してしまい、試合中にベンチ脇で横になっている様な状態でも、辞めるとは言いませんでした。それはやはり「マジックには絶対に負けたくないドンッ」という思いでしょう。辞めてしまったショボーンのは、マジックのHIV感染による電撃引退のシーズン後です。絶対に切れなかった鋼鉄製の様な緊張の糸が、「宿命のライヴァルの不在」によっていとも簡単に切れてしまったショボーン。この頃ラリー自身が度々、「もうバスケが楽しくないよ」と言っていたそうです。

 

子供のころは2人の兄にバスケで全く勝てずに「いつか勝つ」と思っていたラリーですが、そんな事はマジックとの出会いでどうでもよくなったそうです。「僕が倒すべき相手は、マジックジョンソンただ一人だ炎」とは、彼の言葉です。

 

 

はい、これでバスケ選手として最後となる、好きな選手の紹介でした。今まで何人ものバスケ選手を紹介しましたが、やはり書いてて楽しかったニコニコです。我ながら、良いシリーズだウインクと思います。

 

こんな拙い記事をお読み下さり、ありがとうございました。

 

 

 

ところで、このラリーバード紹介の一連の記事、更新が0:33:33て気付きました?