裸天国 | かもさんの山歩き

かもさんの山歩き

毎週末、山を歩いてスケッチしてます。
漫画も描きます。

今日のスケッチ。

奥多摩沢井の澤乃井園。

 

 

私は脱いだら凄いんですというタイプだ。

 

もっとも年相応に胸の筋肉は衰え、腹まわりはダラリとしてきた。

 

20代45キロが今は、58キロだから無理もない。

 

 

脚のバネもなくなり、街中を歩いていても、ちょっとした段差で転ぶようになった。

 

 

しかし、今年の夏は、どこに行くときでもなるべく、その場で許される範囲内で着衣を少なくすることにした。

 

土曜日、関東は午前中凄い暑さだった。

 

私は猛暑の日の山登りが好きである。

 

汗をダラダラ流しながら山を歩いていると、自分が頑張っているなと思う方だ。

 

峠に出て。あるいは稜線に出て、涼しい風が吹き通ってくる、あるいは渓流の流れとともに風をうけて、山登りの醍醐味を味わう。

 

しかし、土曜日は朝から暑すぎた。

 

木立の多い公園を歩いていて。もう少しで熱中症になりかかった。

 

その時の服装が、登山靴に登山服である。

 

私の休日の普段着は、ほころんだり破れたりした登山用のおさがりである。

 

考えたら、これは平地歩きでは暑苦しい。

 

その反省から、翌日は涼しい御岳渓谷を歩いた。

 

格好はノースリーブ、短パンと思い切り、露出を多くした。

 

 

 

ところで、クーラーや扇風機のない時代、日本人はどういう服で過ごしていただろう。

 

夏目漱石の「坊ちゃん」では、松山の中学に赴任した坊ちゃんが、港の船頭がフンドシ一丁だったのを見て、野蛮なところだと思う場面があった。

 

しかし、その数十年前、幕末に日本を訪れた外国人の日本の夏の印象は、ほとんどの庶民がほぼ裸体で暮らしていたことだ。女性も家の中では裸体同然だった。

 

それはそうだ、日本の夏は高温多湿である。

 

他の東南アジアの国と同様、裸体が当たり前である。

 

日本で裸体が少なくなったのは、不平等条約の改正に苦労した明治政府が、日本も西洋諸国と同じ文明国だと思わせたいために裸を禁じたからだ。

 

人力車の車夫が、フンドシ姿でいたら、罰金を取られた。

 

いわば、見栄をはるために裸の禁止である。

 

私も40年前まで、カンカン照りの日に、背広にネクタイ、無帽で街を歩いていた。

 

そのころ女性はボデコンで脚と腕、背中はむき出しで涼しい格好だった。

 

夕涼み よくぞ男に生まれけり ではない時代だった。

 

当時の超ミニ姿のバンビちゃんに会いたかった。