丸川峠の一夜 | かもさんの山歩き

かもさんの山歩き

毎週末、山を歩いてスケッチしてます。
漫画も描きます。

今日のスケッチ。

 

フエイスブックで見た台湾人の絵を模写。

 

朝起きて、まずスマホを開く。

夜寝る時もスマホで朗読を聞く。

真夜中に目が覚めた時もスマホを手にする、

 

 

正月携帯の電波の届かない山小屋では、落ち着けなかった。

 

正月ぐらいは、世間の騒ぎとは別にゆっくりしたいと思っていた。

 

丸川峠小屋の泊り客は、私一人。

 

東日本大震災の数日後に、三条の湯に泊まった時も、客は私一人だった。

 

一人の客で経費節約で湯はぬるかったし、踏み跡のない雪道を雲取山まで歩くのも心細かった。

 

しかし、三条小屋での夜は、ゆったりできて消灯時間とともに、真夜中に目が覚めることもない快眠だった。

 

 

 

今年の正月は例の北陸の大地震だった。

 

山小屋に入る前だったが、山梨の山の中でも地面が揺れた。、

直後にスマホの緊急警報だ。

 

しばらくして、能登半島で大きな地震があったことはわかった。

被害の状況が分かる前に、峠の中に入り、電波が届かなくなった。

 

着いた山小屋でも管理人さんの持っているラジオでは、女性アナウンサーが緊迫した声で海岸近くの人は、ともかく高いところまで逃げろ!と叫んでいる。

 

 

状況がわからないまま、電源が消えた。

 

松戸はどうなのだろう。

 

しかし、電波が届かない以上どうしょうもない。

 

北陸の地震だから、松戸は大丈夫だろうと、自分に言い聞かせて部屋で横になる。

 

灯りがないから、夜は寝るしかない。

 

しかし、部屋は寒い。

 

 

他人がいないから、気楽だとは思ったが、いつの間にか、スマホ無しではいられない体質になっているのに気づかされた。

 

 

縦走している時は、携帯電話無しで数日過ごして、下山してから、電車の中で、3日の間に大事件でも起こらなかったかと新聞に目を通す。

 

 

ところが、今年の正月は地震速報を聞いたこともあるだろうが、下界の様子がわからないことが不安になった。

 

 

翌日、下山途中からスマホが通じて、ようやく安心した。

 

たぶん、地震がなくても、スマホの無い生活は不安になるだろう。

 

「数馬の一夜」という田部重治の、大正時代に書いた紀行文がある。

 

数馬の宿で山旅を振り返り、渓谷や山の風景に自分の心情を重ねた、内省的で情緒的なとても印象深い。

 

 

私もランプだけの小屋で一夜を過ごしたが、田部さんのような文章は無理だとしても、寒い、寂しいという以外の感想があってもよさそうだと情けなくなる。