花影 | かもさんの山歩き

かもさんの山歩き

毎週末、山を歩いてスケッチしてます。
漫画も描きます。

今日の絵ハガキ。

 

花菖蒲。

 

私はあまり花を描かない。繊細な筆遣いができないからだ。

 

 

昨日は千葉公園のハナショウブを大きな紙に描いたが、今朝はハガキにボールペンで描いてみた。

 

花を観察してわかること。

 

微妙に花影があり、それを表現することで花に立体感をだせられる。

 

昨日は、大きな紙に描いたのに花影を描かなかった。

 

白い花を描く時には、影の部分がよく分かるが、花菖蒲の紫はわかりにくい。

 

人の顔も、鼻や唇、まつ毛などの影があるが、影の色が難しい。

 

目の周り、落ちこんだ部分の影を強調しすぎるとタヌキになってしまう。

 

以前も書いたが、植物にも感情がある。

 

幹を切られたりすると悲鳴をあげる。

 

人間には聞こえない超音波を出すらしい。

 

植物同士で会話も行う。

 

音ではなく匂いでの会話だ。

 

害虫に襲われた植物は、ある種の匂い物質を出す。

 

近くの植物が。その匂い物質を受容すると、その速物は害虫の嫌がる物質を出して、害虫から防衛反応をとる。

 

 

私は、植物にも意識があると思う。

 

花菖蒲が害虫を意識するように、人間も意識しているかもしれない。

 

花が黄色や赤になるのは、人間にためではなく、自分が引き寄せたい昆虫や鳥を呼び寄せる戦略だ。

 

自分が繁殖するために、花粉を運ぶ虫にだけ密を与える。

 

 

同じように、長い間人間に育てられた花は、自分たちの繁栄のために、人間を意識するのではなかろうか。

 

人間のために、美しくなることで、自分の世話をさせる戦略もあるだろう。

 

 

昨日の花菖蒲も私の目線を意識していたかもしれない。

 

しかし、ブログ記事を書いていて思ったが、花影というのはいい言葉だな。