今日のスケッチ。
和馬の兜屋旅館。
漫画原作者梶原一騎の父親像は、親のエゴが前面に出て残酷である。
巨人の星の星一徹。
飛雄馬に巨人の星を目指せと、幼いときからスパルタ教育。
日本人大リーガーが続出している今から考えたら、巨人の星だなんて、ちっちぇい、ちっちぇい。
一徹のような父親から育てられた飛雄馬は、まず野球嫌いになる。
自分の果たせなかった夢を、子供に託すなどやってはならない事だ。
子供には子供の人生があるのだ。
飛雄馬への苛烈な野球の英才教育、ボールにガソリンをかけ、火をつけての千本ノックや、大リーグボール養成ギプスなど、数々の常軌を逸した特訓。
これは、子供の虐待であり、児童相談所に通報される。
飛雄馬は小学生から、非行に走るだろう。
父親に身向きもされない姉明子は、家出を繰り返し、東横に入りびたりだろう。
弟思いの明子は、援交で稼いだ金で、飛雄馬を助けるはずだ。
バカボンのパパ。
バカボンの家庭は父親不在の家庭である。
バカボンのパパは、父親失格であるが、それはそれでいいのだ。
バカボンも、ハジメも、立派に育つだろう。
問題はバカボンのママの方だ。
バカボンのパパは、バカボン達の友達になれるが、バカボンのパパは、バカボンのママにとって子供みたいなものである。
バカボンの家庭には、夫も不在で子供だけであるから、ママは寂しかろう。
ある落語家の宴会芸に、バカボンのパパとママの夜の夫婦生活というのがあるそうだ。
一度見てみたい。
父親としての私。
自分に自信の持てない私は、娘に説教したことはない。
その代わり、ベビースイミングやハイキングに連れて行った。
スキューバダイビングのライセンスも一緒に取った。
それでいいのだ、これでいいのだという親子関係だったから、娘が父親を父親と思わない言動をしても仕方ないのだ。
子供は父親の背中を見て育つという。
自分の生き方を背中で見せられない私。
見ようとしても何も見えてこないだろう私は、父親失格である。
しかし、地震、カミナリ、火事、オヤジは戦前で終わったのだ。
さざえさんの波平さんが威厳があったのは、昭和20年代までだった。