今日の絵ハガキ。
クマガイソウ。
スカピサオ・アンダルシア。
日本の刑務所では長期囚になるほど俳句とか短歌が盛んになる。
刑務所側も囚人の心の安定をはかる意味から、外部から先生をよんで、俳句を教えている。
死刑囚もそうだ。
義展ちゃん事件の小原保は、見事な短歌を作った。
その俳句や短歌で詠むのは、たいてい母親である。父親はまず詠まない。
父の立場はないが、事実である。
犯罪を研究する学者の言葉では、日本的な母子関係があると言う。
芝居や浪花節、歌でも、瞼の母や岸壁の母みたいなのは西洋にはない。
母親が子を甘やかす、それが犯罪の歯止めになっている部分もあるし、ダメな部分もある。
戦前に日本に住んでいた、イギリスの外交官夫人たキャサリン・サンソム。
昭和初期の東京の街と人々の暮しを軽妙な筆致で描いた日本印象記.「東京で暮らす」。
その中で、「日本の子供は大事にされすぎて甘やかされて育つが
不思議なことに、日本の子どもは甘やかされても駄目にならない」と書いている。
日本の極道の妻も、最初は恋人だが、しまいには極道の母親になる。
私がいなければ、この人はダメになるという感覚になるようだ。
子供時代から非行に走る子は、育児放棄の母親の関心をひきたいという動機があることが多い。
父が亡くなった当初、よく父の夢を見た。
母の時はしばらく母が夢に出てこなかった。
なぜだろうと思った。
それほど、私は母子一体だったのだと思った。
繰り返すが、親父の立場はないな。
瞼の母はあっても瞼の父はない。
絵はがき。
レオナルド熊。