今日の絵ハガキ。
ボクシング。
つげ義春はけしからん。
そう言った人は水木しげる。
無理もない。
水木しげるは戦時中、ニューギニアにいて、敗戦後、現地で除隊して原住民と一緒に暮らそうと考えた事がある。
軍隊の暮らしより、ノンビリ暮らす原住民の暮らしが性にあっていると思った人だ。
水木さんは、紙芝居の絵を描いていたが、紙芝居が衰退すると、貸本漫画を描くようになった。
戦記物、幽霊物、そして、墓場の鬼太郎。独特の個性ある漫画を描きまくっていた印象がある。
しかし、水木さんの自伝漫画によれば、貸本漫画の衰退期で、安い原稿料で貧困生活だったようだ。
水木さんは、私が小学6年生のとき、少年マガジンで、テレビ君という不思議な漫画でメジャーデビューすると、すぐに超売れっ子になった。
水木さんは、どんなに忙しくても徹夜仕事だけはしなかったが、プロダクション制で漫画を描くようになって忙しい思いをした。
のんびりした暮らしが理想だったのに、忙しい毎日を送らざるを得ない水木さんから見れば、つげ義春さんは、自分のアシスタントをしながら、年に数本短い漫画を描き、十年後には一作もかかなくなったが、それでも数年おきに、つげ義春ブームがおこり、過去の作品が映画になる、テレビドラマになる。
それまで漫画に見向きもしなかった文化人が、つげ義春の漫画を論評する。
つげ義春が何もしないのに、海外でも評価され、挙げ句は描いた漫画が芸術だと評価される。
水木さんには、つげ義春はけしからんとなるのは当然だ。
つげさんの当時の生活、ねじ式発表当時は、生活費確保のため水木プロダクションの手伝いを月に1週間ほどし、適当に食えるだけ取ればやめてしまう生活ぶりであった。
つげさんは、ネスカフエのテレビCMの出演を断っている。
遠藤周作さんが出た「違いの分かる男」のCMである。
契約金は、田園調布で家を建てられるほどの金額だったらしい。
欲がないというより、変人だ。
そういう変わった人だから、ねじ式のような漫画を描けるのだな。