銀幕の上で永遠に生きる | かもさんの山歩き

かもさんの山歩き

毎週末、山を歩いてスケッチしてます。
漫画も描きます。

今日のスケッチ。

 

フランス。

サン・マロ。

色は明日。

 

 昭和の爆笑王、三遊亭歌笑。

 

お得意ネタは、七・五調で演じる「歌笑純情詩集」の他に「論文集」、「迷作集」、

「ジャズ風呂」がある。

 

 

人気絶頂時の1950年、夕暮れの銀座松坂屋前の路上横断中、アメリカ軍のジープに轢かれて事故死。

 

享年は32で、真打としてはわずか2年半に終わった。

 

 

1951年生まれの私は、歌笑の落語を聞いたことはない。

 

 

人気絶頂の最中の突然の死であったため、多くの予定スケジュールが残された。

 

この時穴埋めの代演としてフル回転することになったのがライバルであり親友でもあった四代目柳亭痴楽で、痴楽は「歌笑純情詩集」のテイストを折り込んだ新作落語「痴楽綴方狂室」をかけ、これで名を売って行くことになる。

 

私が、ラジオで聞き知っているのは、痴楽の綴り方教室の方だ。

 

歌笑の落語は、残されていた音源からCDで聞いた。

 

 

その歌笑の短い生涯を、テレビ番組にしたものを見たことがある。

 

先月、渥美清が歌笑を演じた「おかしな奴」という映画を見た。

 

私の記憶ではテレビの方も渥美清が演じていたはずだ。

 

映画は1963年に封切られている。

 

祖の映画、戦後の焼け跡で、三田佳子と同じように米軍相手の娼婦が、ラジオで、歌笑の落語を聞いて、大笑いする。

 

その女優は、その後も、寄席などで、歌笑落語のどこが面白いかを聴衆に説明する役回りだ。

 

おやっ?

 

この女性どっかで見たことがある。

 

あー。小林裕子さんだ。

 

 

私とは仕事のつながりがある。あったと書き直そう。

 

 

とっくの昔に女優業は引退して、数年前、オペラの公演をする法人の理事長の時、お会いした。

 

お会いした後で、週刊宝石だっただろうか。

 

芸能人で顔が似ているひとたちをグラビアで取り上げていた。

 

その中に、若い時の小林裕子さんと、名前は忘れたが、今のアイドルグループの誰かと似ているという事で、2人の顔写真が載っていた。

 

それで初めて、小林さんが東映の女優だったと気づいたのだ。

 

なるほど。こんな演技をする人だったのか。

 

 

もう10年近くお会いしていないが、お元気だろうか。

 

私のような職業と違い、いつまでも若い時の姿を見せられるし、たぶん、フイルムがある限りは、何十年何百年たっても、自分の演技が映像として残るのだ。

 

今日の映像の人は、若山セツ子さん、とっくの昔に死んでいるのにいまだに私の心をときめかす。