地下鉄の地上を歩く会 13路線完歩② 丸ノ内線−9 妙法寺の鉄門 大宮八幡宮 菩提樹 共生の木 | 一人、"地下鉄の地上を歩く会"

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山や街を歩いて見聞したことや身の回りのことなどをお話しします。

昨日のブログで、ぴえ太さんから「妙法寺の鉄門は省略ですか」とのコメントをいただきました。

は〜い、うっかりしておりました。

 

こちらが妙法寺の鉄門でございます。

奥は歴代将軍が野遊の折々に寄られた「御成の間」がある建物。

その前に、英国人ジョサイア・コンドルの設計により作られた和洋折衷様式の鉄門。

ジョサイア・コンドル(1852−1920 1877年来日)の設計と言えば、鹿鳴館、ニコライ堂、三菱一号館、岩崎邸、綱町三井倶楽部、古河邸等、多いですねえ。

 

 

 

重要文化財『鉄門の由来』

「この鉄門は明治十一年に完成した 洋風の意匠を基調とし 一部に加味した折衷の鉄門である(この文章、何か抜けていないかしら。例えば「一部に和を加味した」とか・・・。)

我が国の近代建築家養成の恩師と言われている英国人教師コンドル氏の設計遺構で 明治建築史上貴重な存在である

昭和四十八年 重要文化財に指定された

門柱左右の七文字の漢詩は当時の身延山第七十四世吉川日鑑法主の筆跡である」

 

 

 

花飛浄界香成雨 『花は浄界に飛んで香りは雨となる』

 

 

 

金布祇園福有田 『金を祇園に布て福は田に有り』  

 

 

 

妙法寺を出て、杉並区立郷土博物館を見学し、善福寺川の方へ。

このグラウンドは善福寺川の流水が暴れた時の遊水地となります。

 

 

 

大宮八幡宮にやってきました。

表参道の第一鳥居は昭和29年に再建されたもので、柱の径は90㎝、高さは8mあります。

 源頼義が奥州の乱を鎮めるため(前九年の役)この地にさしかかると空に八条の白雲がたなびき、「これは八幡大神の守護のしるし」と頼義は喜び、奥州平定からの帰り、康平6年(1063)にこの地に石清水八幡宮から分霊をいただき、社を建てました。

 

 

 

源頼義の子八幡太郎義家も後三年の役のあと、社殿を修築し、千本の松を植えたと伝えられています。

広いですねえ、境内は1万5千坪あります。

 

 

 

社殿は総檜造りで昭和40年に竣工しました。

 御祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后。

その昔、神功皇后(仲哀天皇の皇后、応神天皇の母)は子を腹に宿して出陣し、腰帯に鎮懐石を結んで陣痛をおさえて大陸に渡り、目的を果たし帰還して無事御子(応神天皇)を産んだという縁故から、縁結び、安産、子育てのご利益があるとされています。(すごい話ですねえ。)

 

 

 

関ヶ原の戦功により越前藩主に封ぜられた松平秀康(徳川家康の次男 1574−1607)はその名を名のる時に清涼院を側室に迎えました。清涼院は大宮八幡宮を崇敬し、この菩提樹を植樹したと伝えられています。

 

 

 

菩提樹の実?と思いましたが、蕾のようですね。(5月19日)

 

 

 

近くに共生(ともいき)の木。榧の木に犬桜が寄生しています。

国際協調、宗教協力、相互扶助、夫婦和合等を示唆している御神木だそうです。

 

 

 

善福寺川の橋を渡り・・・、

 

 

 

 

緑豊かな和田濠公園を歩きます。

 

 

 

向かうは昼食場所、「つり堀 武蔵野園」です。

 (つづく)