地下鉄の地上を歩く会 13路線完歩① 丸ノ内線−9 蓮光寺 妙法寺 杉並区立郷土博物館 | 一人、"地下鉄の地上を歩く会"

一人、"地下鉄の地上を歩く会"

山や街を歩いて見聞したことや身の回りのことなどをお話しします。

世の中はすでに7月に入っているというのに、こちらは1ヶ月半遅れて、まだ5月の報告です。

 2010年1月から始まった「地下鉄の地上を歩く会」。東京の地下鉄13路線の近辺の神社仏閣、名所・旧跡、公園、博物館等に寄りながら歩き続けてきました。

5月19日(日)、丸ノ内線としては9回目。今回で全部の路線を完歩します。

 

丸ノ内線 東高円寺駅10時集合。前回見学した蚕糸の森公園を通り抜けに使いました。

前回(3月10日催行)こちらに載せました。(3月26日から4月3日まで)

 

 

 

頂光山蓮光寺。日蓮宗の寺院で十界曼荼羅を本尊としています。

 

 

 

日蓮聖人の真作と伝えられる開運大黒天(土富店 どぶだな の大黒天)が納められている大黒殿。隙間から拝観させていただきました。

 

 

 

蓮光寺にはインド独立運動の指導者チャンドラ・ボースの遺骨が安置されていることから、昭和50年(1975)に記念碑が、平成2年(1990)に胸像が建立され、歴代のインドの首脳が訪日した際には蓮光寺を訪問しています。

 

✿チャンドラ・ボース(1897〜1945)

1897年、裕福な弁護士の家に生まれ、ケンブリッジ大学を卒業。インドの高等文官試験に合格しましたが、マハトマ・ガンディーの反英非協力運動に感銘を受け民族運動に身を投じます。しかし、ガンディーの非暴力主義には反対していました。

また政府からは危険人物とみなされ、何度も軟禁・逮捕・投獄されますが、それにもめげず国外に脱出して反英闘争を行います。

当時、日本軍はシンガポールを陥落させると捕虜になったイギリス軍にいたインド兵を集めてインド国民軍を組織していました。国民軍指導者にチャンドラ・ボースはうってつけ。

一方、ドイツで反英活動に成果を上げられないチャンドラ・ボースは日本に働きかけて、1943年2月にドイツ海軍の潜水艦に乗り込み、途中、日本軍の潜水艦、日本軍の航空機に乗り換えて、5月に東京にやってきます。

チャンドラ・ボースは1943年10月に自由インド仮政府の首班となり、東南アジアで活動を開始します。インパール作戦では日本軍とともにイギリス軍と戦いますが大敗し、タイに撤退します。日本が敗戦するとソ連に亡命しようとし、1945年8月18日、日本陸軍の爆撃機に乗りますが、離陸に失敗し炎上する機体からは脱出したものの病院で亡くなりました。

 

 

 

 

日円山妙法寺の山門。日蓮宗の寺院です。

 

 

 

祖師堂。

日蓮上人の像が安置されていて、あらゆる災難除けに霊験あらたかなことから「厄除け祖師」と呼ばれるようになりました。

 

 

 

立派な彫刻、大きな鰐口ですねえ。

 

 

 

祖師堂から続く建物の中から見た本堂。文政2年(1819)建立。

 

 

 

庭から見た本堂。境内は広く、植え込みもとても綺麗に整美されています。

 

 

 

浄行さま(浄行菩薩)。諸願成就、身体健全!

 

 

二十三日を縁日とする二十三夜堂。

 

 

 

有吉佐和子の碑。当人はキリスト教の信者でしたが、妙法寺をこよなく愛していました。

「複合汚染」「恍惚の人」などをよく知り、読んでいる世代です。

 

 

 

善福寺川を越え、公園の中を歩いて杉並区立郷土博物館に来ました。

 

 

 

道をはさんだお向かいのお宅は見事なバラ屋敷。見惚れました。ちょうど見頃です。(5月19日)

 

 

 

 

 

古代から近現代までの杉並の人々の暮らしや景観、環境が分かりやすく展示されていましたが・・・、

 

 

 

一番惹かれたのはコレッ! オオタカの剥製。後で行く善福寺川にはオオタカの生息地があるのです。出会えたらいいなあ。

 (つづく)