“ふじ爺”さまと歩く村山古道 ② しの字杉 札打場 天照教社 富士山麓山の村跡 クマの痕 | 一人、"地下鉄の地上を歩く会"

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山や街を歩いて見聞したことや身の回りのことなどをお話しします。

 

 

歩く時の目印の一つ、「し」の字形に曲がった杉の木。

登山道は荒れていますねえ。

 

 

 

畠堀操八氏は道普請も兼ねて歩いていますが、ふじ爺さまも側を歩いていて手伝うことが多くなりました。

 

 

 

倒木等で登山道が塞がれていることも。

 

 

 

北井久保林道(標高810m)を横切って、再び村山古道へ。

 

 

 

皆が巨大なケヤキを見上げているのは、村山修験の遺跡、「札打場(ふだうちば)」です。

 

 

 

幹周り3.5mのケヤキ、少し樹勢が衰えているのが気になります。

幹に巻かれた注連縄に、木札がぶら下がっています。

 

 

 

この日、ふじ爺さまも木札を下げました。きっと皆の無事の登山を祈ってくださったのでしょう。

 

 

 

この場所は村山古道の下山時に間違えやすい所です。畠堀操八氏は道案内がきちんと見えるか確認しています。

 

 

 

富士山ですねえ。登山道に溶岩流が固まった跡が見られます。

 

 

 

天照教社に着きました。ここの境内で遅い昼食となりました。標高1000m。14:15

天照教社の境内には徳田寛豊教祖、西郷隆盛、清水次郎長等のお手植えの桜がありますが、今回はこの一枚の写真しかありませんでした。(何枚か写したつもりなのに何故か保存されていないんです。スマホもパソコンも相変わらず分からないことだらけです。)

 

 

 

昨夏の道普請の跡を確認。

 

 

 

何年か前まではこの溝が登山道で、突き当りの木の根をよじ登ることができたのに、今はずっと手前から上の脇の道を歩くことに。豪雨や、「富士山麓山の村」がなくなり更地になった影響で、登山道に雨水が流れ込んで道を抉り、危険度が増して歩けなくなりました。

 

 

 

ここが富士山麓山の村の跡地です。管理棟や食堂がありました。また、村山古道沿いには生活棟が数棟建っていました。

 

 

 

富士山麓山の村の跡地に流れる日沢を渡ります。こんなに小さな大人しい沢です。(ここではね。)

 

 

 

おっ、熊が幹を剥いだ痕ではありませんか。

ここのところ、村山古道近辺でもクマの出没が認められ、全員が熊除けの鈴を付けているし、熊よけスプレーや、畠堀氏はクラッカーも。

ふじ爺さまが耳をつんざくような笛を時々鳴らしてくれます。これが一番クマに届いてよく効くように思われました。

 (つづく)