歩く時の目印の一つ、「し」の字形に曲がった杉の木。
登山道は荒れていますねえ。
畠堀操八氏は道普請も兼ねて歩いていますが、ふじ爺さまも側を歩いていて手伝うことが多くなりました。
倒木等で登山道が塞がれていることも。
北井久保林道(標高810m)を横切って、再び村山古道へ。
皆が巨大なケヤキを見上げているのは、村山修験の遺跡、「札打場(ふだうちば)」です。
幹周り3.5mのケヤキ、少し樹勢が衰えているのが気になります。
幹に巻かれた注連縄に、木札がぶら下がっています。
この日、ふじ爺さまも木札を下げました。きっと皆の無事の登山を祈ってくださったのでしょう。
この場所は村山古道の下山時に間違えやすい所です。畠堀操八氏は道案内がきちんと見えるか確認しています。
富士山ですねえ。登山道に溶岩流が固まった跡が見られます。
天照教社に着きました。ここの境内で遅い昼食となりました。標高1000m。14:15
天照教社の境内には徳田寛豊教祖、西郷隆盛、清水次郎長等のお手植えの桜がありますが、今回はこの一枚の写真しかありませんでした。(何枚か写したつもりなのに何故か保存されていないんです。スマホもパソコンも相変わらず分からないことだらけです。)
昨夏の道普請の跡を確認。
何年か前まではこの溝が登山道で、突き当りの木の根をよじ登ることができたのに、今はずっと手前から上の脇の道を歩くことに。豪雨や、「富士山麓山の村」がなくなり更地になった影響で、登山道に雨水が流れ込んで道を抉り、危険度が増して歩けなくなりました。
ここが富士山麓山の村の跡地です。管理棟や食堂がありました。また、村山古道沿いには生活棟が数棟建っていました。
富士山麓山の村の跡地に流れる日沢を渡ります。こんなに小さな大人しい沢です。(ここではね。)
おっ、熊が幹を剥いだ痕ではありませんか。
ここのところ、村山古道近辺でもクマの出没が認められ、全員が熊除けの鈴を付けているし、熊よけスプレーや、畠堀氏はクラッカーも。
ふじ爺さまが耳をつんざくような笛を時々鳴らしてくれます。これが一番クマに届いてよく効くように思われました。
(つづく)