ほぼ、1ヶ月半も前の報告になってしまいました。
5月6日(月・休)、JR身延線柚木(ゆのき)駅、9:00集合。
山樂カレッジ(畠堀操八主宰)で『最古の富士山アプローチ・富士本道を歩く』。
1:25000の地形図「富士宮」「入山瀬」「蒲原」「吉原」を1:20000に拡大して組み合わせたA3の地図1枚と、1:20000の「大宮町 1890年」「吉原 1902年」を組み合わせたA3の地図1枚。どちらも畠堀操八様が苦心して作成してくださった地図を見ながら歩きます。
お知らせには、
『富士川の左岸、水神社から岩本山を越えて富士宮まで、一番茶の萌える中を、富士山に向かって歩きます。最大標高差70メートルの登り、全行程10キロのアスファルト道。』
とありました。(「山じゃないんだわ!」)
まずは富士川の左岸にある水神社に向かいます。
途中、「明治天皇御小休所阯」と記された石碑がありました。
紀元2600年(昭和15年 1940年)6月10日に建てられたものと分かったけれど、明治天皇がいついらしたのかは読み解けませんでした。
水神社に着きました。
「富士川渡船場」と彫られた石碑が見られます。
江戸時代、東海道を行き交う人々は富士川を渡るために、両岸を結ぶ渡船場を利用していました。
「冨士山道」と彫られた石碑も。
東海道から分かれて富士山へと向かう登山者のために、いまの場所より少し東に建てられていて、登山者にとっては重要な目標となったようです。
富士川にも寄ってみます。
富士川橋から富士川の上流を見ています。
日本三大急流の一つである富士川。富士山からの熔岩流が露出しています。ここからの富士山は素晴らしいのに、残念、雲の中。
水神社に掲げられていた「水神の森と富士川渡船場」の説明板には「富士山禅定図」も載せられていました。
私達がいる水神社の付近の図を拡大しました。
富士川の下流に渡舟場と書かれ、その右上に水神、右側に富士山道の石碑の絵、水神と富士山道の石碑の間を冨士本道が描かれています。
この富士本道を探りながら大宮(富士宮)まで歩きます。
(つづく)