日本橋から歩く『大山詣』を振り返って ⑧ 国分寺崖線の上の寺社 大林寺 大石神社 相模国分寺跡 | 一人、"地下鉄の地上を歩く会"

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山や街を歩いて見聞したことや身の回りのことなどをお話しします。

この辺りの道は上りが急に厳しくなってきました。

大山道に面した喜楽山慈眼寺(世田谷区瀬田4−10−3)

かつては崖下に滝があり、修験の寺だったそうです。

 

 

 

慈眼寺の隣にある瀬田玉川神社(世田谷区瀬田4−11−31)

 

 

 

慈眼寺も瀬田玉川神社も国分寺崖線の上に建っていて、こんな急な階段を降りてきました。

 

 

 

妙隆山玉川寺(ぎょくせんじ)(世田谷区瀬田4−12−4)

晴れていればここも景色が良さそう。身延山久遠寺の関東別院です。

 

この三つの寺社は東京都の外れ、多摩川や野川に近づいてきたという地形が感じられるところでした。

こちらに載せましたのでご覧くださいませ。

 

 

 

曹洞宗の滋雲山大林寺(横浜市緑区長津田6−6−2)

 

 

 

創建は1570年だけど、火災に数回あい、山門、本堂等、2008年に建立しているので新しく見えます。

盗難防止や鳥避けのガラスや金網のない山門は最近珍しく、鳥の糞などで汚れていないことに驚きました。

 

 

 

閻魔様の前でお裁きを受けているのでしょうか。珍しいですね。

初代引田天功のお墓もあり、興味深いお寺でした。こちらに載せました。

 

 

 

大石神社(横浜市緑区長津田2322)

長津田は大山街道の宿場町として栄えたところで、近くに常夜灯などもありました。

 

 

 

御神体は自然石で、在原業平が死んで石に変じたものなんですって!

あの伊勢物語の、あの美男の、あの東京スカイツリー辺りに名を残す在原業平が石になったなんて、初めて聞きました。

こちらに載せました。

 

 

 

この広い土地にきちんと並んで置かれた石は相模国分寺(海老名市国分南)の回廊の礎石です。

 

 

 

一段高いところに七重塔の礎石。

 

 

 

聖武天皇が仏教の力で国の安寧をはかるために諸国に国分寺の建立を命じました(741年)。相模国分寺が建立されたのは8世紀中頃?どんなにか壮麗だったことでしょうねえ。こちらに載せました。

 

 

 

相模国分寺跡から約600m北の国分尼寺の跡。

庚申塔が納められたお堂といくつかの石碑があるだけでした。

 

 

 

海老名駅前中央公園には、相模国分寺七重塔の3分の1のスケールのモニュメントがありました。

 (つづく)