おやおや、6月に入ってしまいました。
『大山詣』を完歩できたのは4月14日、せめて報告は5月中に終わらせましょうと思っていたけれど、日本橋から大山山頂まで歩いたのは貴重な体験、ブログを見返しても得るところがいっぱいあったことに気が付き、もう少しまとめを続けることにいたします。
「日本橋から歩く大山詣」、2021年11月23日から歩き始めて、2024年4月14日に大山山頂までの14回、その間に寄った神社仏閣は80ヶ所。
彦根藩井伊家の菩提寺であり、桜田門外の変の井伊直弼の墓所がある「豪徳寺」(世田谷区豪徳寺1−43−4)、太田道灌の菩提寺で首塚の墓所がある「大慈寺」(伊勢原市下糟屋364)と道灌が荼毘に付されたとする洞昌院(伊勢原市上粕屋1160)、良弁僧正が開山の大山寺(伊勢原市大山724)はすでに載せました。
それ以外の印象に残る寺社を載せていきます。
2021年11月23日の第1回目。
日本橋の上に8時30分集合。皇居東御苑や国会前庭洋式庭園(井伊直弼の上屋敷)などを見学後、三宅坂から赤坂御門跡を通ったところで、いよいよ大山街道。
最初に寄ったのは「豊川稲荷東京別院」(港区元赤坂1−4−7)です。
初詣の参拝者は非常に多く、お狐さんが沢山奉納され通称「豊川稲荷」ではあるけれど、豊川ダ枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)を本尊とする曹洞宗の寺院です。
というよりも、どこかでお弁当を買って東御苑で食べればよかったのに気が利かず、ここの境内の茶店で食べることに。すでに3時半、うどんは殊の外美味しかったけれど、私には修験者たちでもないのに難行苦行をさせてしまったという苦い味が残りました。
2回目の2021年12月25日に訪れた無量寿院善光寺(港区北青山三丁目)。
前出のNHK大河ドラマの「花の生涯」の第一話、冒頭部分に高野長英が伝馬町牢屋敷に収監されている場面がありました(蛮社の獄)。また『游相日記』で渡辺崋山と大山街道を同行しましたが、彼もまた蛮社の獄に繋がれました。
高野長英(1793ー1841)はここで自刃しました。
上目黒氷川神社(目黒区大橋2−16−21)。
鳥居の横に「大山道」と彫られた石碑が見えたときは、いよいよ「大山詣」が始まったという気分になりました。
上目黒氷川神社の境内へ行くには「目黒富士登山口」にもなっていて、「目黒元富士」とも縁が深い。
ちょっとだけ都会の喧騒から遠のいた感じがしてきました。
松陰神社(世田谷区若林4−35−1)。
吉田松陰(1830−1859)を祀る神社です。境内は広く立派なことに驚きました。萩市の松下村塾の模造もありました。
広い境内の一角に鳥居があり、「吉田松陰先生他烈士墓所」と書かれた説明板。
吉田松陰は安政の大獄で、「伝馬町牢屋敷」に収容されて斬首。千住小塚原回向院に葬られたのを、文久3年(1863)、高杉晋作、伊藤博文等がこの地に改葬したそうです。
鳥居は木戸孝允が明治元年(1868)に寄進したものとか。
松陰神社のことはこちらに載せましたので、ぜひご覧くださいませ。
(つづく)