日本橋から歩く『大山詣』を振り返って ② 岡本太郎と岡本かの子 忠犬ハチ公 人間国宝濱田庄司 | 一人、"地下鉄の地上を歩く会"

一人、"地下鉄の地上を歩く会"

山や街を歩いて見聞したことや身の回りのことなどをお話しします。

「大山詣」2回目の2021年12月25日(ブログは2022年1月4日〜12日)、国道246号(青山通り 大山街道)の青山学院大学の向かい側、国連大学に寄ったその後で出会った岡本太郎制作の『こどもの樹』。ここはかつて「こどもの城」があったところです。

 

そこで急遽予定を一つ増やして渋谷駅にも寄ることに。

忠犬ハチ公の像は相変わらず人気で人がいっぱい。渋谷駅で待ち合わせる時にはやはりここが分かりやすくて便利。私もよく使います。

 

 

 

当日は青山一丁目駅集合で、一番に青山霊園に寄って、大久保利通はじめ数名のお墓まいりをしました。

飼い主上野英三郎博士のお墓と忠犬ハチ公の碑も参ったばかりです。

 

 

 

渋谷駅構内の岡本太郎制作『明日の神話』。

設置場所がここに決まった時は本当に嬉しかったです。候補地は大阪等、遠いところもありましたからね。

 

 

 

2022年4月23日(ブログは2022年5月1日〜5日)、二子玉川駅から二子橋を歩いて多摩川を越え、神奈川県(川崎市)に入りました。

「旧大山街道二子の渡し場入口」の指示に従って見えてきたのは、「岡本かの子文学碑」『誇り』。岡本かの子の長男岡本太郎の制作です。

 

 

 

文学碑の周りの植え込みに亀井勝一郎文、川端康成書の岡本かの子を紹介し讃える石碑がありました。

 

 

 

川崎市高津区二子二丁目の公園に「大貫家の人々」と書かれた案内板。

大貫家は代々幕府や諸藩の御用達を業としていた豪商で、二子の大地主。岡本かの子は大貫家の別邸・現在の東京都港区青山で生まれ、5歳のときにこの地に移り幼少時代を過ごしました。

岡本一平と結婚したかの子は青山のアトリエ付き二階屋に住むようになります。そこが今の「岡本太郎記念館」になっているのですね。

 

 

 

川崎市立高津図書館に寄りました。綺麗な石だわーと見入っていたら、岡本かの子の歌碑でした。なんて書いてあるのかわからないところが御愛嬌?

 

 

 

「陶芸家浜田庄司の家」と書かれたケーキの店「大和屋」。

濱田庄司(1894〜1978)は少年期を祖父の家「大和屋」で過ごしたそうです。

 

 

 

濱田庄司は溝ノ口で生まれました。陶芸家として柳宗悦とともに民藝運動に力を入れたということは知っていましたが、第1回(1955年)の人間国宝に認定されていたということは知りませんでした。

「功匠不留跡(功匠は跡を留めず)」

文化芸術の香り高い一日でした。

 (つづく)