相変わらず「大山の登山道ってこんなに厳しかったかしら」と思い続けています。
おまけに天気良く、真夏のように暑い。
天気は良いけれど霞んでいて、「富士見台」というのに富士山は見えず。一日中見えずでした。
山仲間とはいえ常に登山をしている人の中で、山は久しぶりという人もいて、大変だったのではないかしら。
やっと鳥居が見えてきました。
さらに登り続けて・・・、
いよいよ山頂の鳥居です。
大山阿夫利神社の本社。
本社の中には大山講の名前が染め抜かれた数々の手ぬぐいが掲げられていました。
さらに登って・・・、
13時50分、大山山頂奥の院に到着しました。
「奥の院」ということは、大山寺の奥の院ということ?
扉の中に祀られているのは・・・?
前回、畠堀操八リーダーから配布された「江戸時代の大山想像図」。
(『相模大山 大山今昔史跡巡り』宮崎武雄著 いせはら観光ボランティアガイド&ウォーク協会発行 平成31年)
拡大すると、現在の大山阿夫利神社下社はなく、雨降山大山寺(不動堂)となっていて、山頂には「石尊大権現(阿夫利神社)」となっています。(神仏習合?現在の建物も神社風。)
明治時代初期の廃仏毀釈の影響ですっかり様子が変わったことが色濃く分かります。
で、この絵地図から考えると扉の中は「石尊大権現」が祀られているということでしょうか。
2021年11月23日に日本橋を出発してから14回目にして「大山詣」を達成し、感慨ひとしおのK子さんと能天気にはしゃぐM子です。
(つづく)