”ふじ爺”さまと歩く「村山道」 ⑨ ✿ 初心にもどって 広見公園 道しるべ 釈迦堂 | 一人、"地下鉄の地上を歩く会"

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山や街を歩いて見聞したことや身の回りのことなどをお話しします。

畠堀操八著『富士山 村山古道を歩く』に出あってからの数年は、初めは一人で、じきに畠堀操八師匠と、あるいは富士市観光ボランティアガイドの会の方たちや、ローリング父さん、村山の方たちに史跡、名所、寺院を案内していただくことが多かったけれど、近年は京都の聖護院の「富士山峰入り修行」に参加するばかりで、寄り道はなし。8月下旬の暑い盛りなので付いていくことに精一杯です。

 

 

 

ふじ爺さまと歩く村山道は寄り道・脱線が許されそう。村山古道に出あったばかりの頃の感覚が蘇ってきました。その頃は『富士山 村山古道を歩く』の本を片手に、一歩たりとも外すことなく忠実に歩こうと思っていました。(実は初日から道を間違えて、すぐには「富士塚」にたどり着けなかったのですが。)

富知六所浅間神社のところでは「境内左奥にトイレがあることも大切である(現在は右側)。汚さないよう使わせていただき、宗派を乗り越えてお賽銭ははずんでおこう。」と書いてあったので、その通りにしました。

 

「右に中途半端な鉄塔があって、その向こうに水流のない溝がある。」

富士山峰入り修行では誰も注目しないし、話題にもならない。

 

 

 

今回は一人、寄り道させていただいた。

「これは古い用水の名残で、どうやら村山道はこの用水沿いにあったと思われるが、いまはもちろん通過できない。」

当時は用水の縁をなんとか歩いたと記憶している。が、今回は大人しく皆さんのところに戻りました。

 

 

 

「伝法東小」交差点手前の地下道入口にある道祖神2基。ここからも富士山が美しい。

 

 

 

「伝法東小」交差点を渡り、「酒 アルコ」の前を通ります。

 

 

 

宅地内を歩いて、東名高速道路の下を横切ります。

ここのソメイヨシノの満開時は素晴らしいのですが、今回はやっと数輪がほころび始めたところ。昨年の「ふじ爺さまと歩く村山道」はどこでも桜の満開に迎えられたそうです。

 

 

 

「美味しそうなキャベツー!!!」

東名高速道路を過ぎると景色が一変。個人宅はなくなり一面が畑、でしたが、いまは工場や流通関係の倉庫や車庫などが増えてきましたね。

 

 

 

交通の激しい広い通りを信号機まで少々回り道をして、着きました!

広見公園。

 

 

 

村山道22kmのうちの広見公園がちょうど真ん中。

この日も夏のような暑さだったけれど、昨年の京都聖護院の富士山峰入り修行の時は暑さ厳しくすでに熱中症気味。次郎長町大渕のお接待の方が凍ったハンドタオルを届けてくださったことがどんなにか有り難く生き返ったような気持ちがしたことか・・・、

 

 

そんな話を、ふじ爺さまが吉原の南岳堂で買ってくださった桜餅をご馳走になりながら、ふじ爺さまと話していました。(ふじ爺さまが峰入り修行に参加なさっていたことを知ったのは昨年9月の村山での閉山式の時でした。)

ふじ爺さまは南岳堂の奥様と長命寺の桜餅の話をしていましたっけ。今年は久しぶりで隅田川のお花見にでも出かけようかしらと思っていたけれど、あらまっ、機を逃しましたねえ。(写真はふじ爺さまに提供していただきました。)

 

 

 

 

長め(20分くらい?)の休憩の後、出発。

 

 

 

左に工場地帯、右に住宅街の花などを眺めながら歩くことしばらくして、「左 むら山道  東 三ツ倉」と彫られた道しるべの石碑。この後もこの道しるべに従って歩くことになります。

 

 

 

このまま真っ直ぐ富士山に向かって歩きたくなるけれど、「左 むら山道」です。

 

 

 

この辺は畑ばかりだったように記憶しているのだけど変化が激しくて、・・・ここは何ができるのかしら。

 

 

 

スーパーマーケット・バローも入るのは初めて。

ここで簡単お昼ご飯を買い、軒先でいただきました。

 

 

 

新東名高速道路の上の辻畑橋を渡って進むと、茶畑が広がります。さすが静岡県ですねえ。

あれ〜、富士山に雲がかかってきた!

 

 

 

信号右手前のお堂は釈迦堂。ここからも富士山が見えるのですね。

 

 

 

中央の釈迦如来像の前には多くの碑伝木が。左の聖護院門跡と書かれた碑伝木は昨年の聖護院の富士山峰入り修行の時に納めたものでしょう。

 (つづく)