”ふじ爺”さまと歩く「村山道」 ② ✿ 田子の浦鈴川海岸 富士塚 六地蔵 閻魔堂 | 一人、"地下鉄の地上を歩く会"

一人、"地下鉄の地上を歩く会"

山や街を歩いて見聞したことや身の回りのことなどをお話しします。

田子の浦を初めて知ったのは百人一首の「田子の浦に・・・」。

どこにあるのかも知らず丸暗記していた幼い日。

次に意識したのは週刊誌。目の前の海が白茶けた泡でモクモクとふくれ上がっていた。中学生か高校生?

(週刊誌でもう一つ強く印象に残っているのは黒い死体の山。関東大震災か、東京大空襲か、原爆だったか・・・。)

 

 

 

皆が気に入った小石を拾いました。ムラヤマフジコちゃんは富士山型の三角の石。

 

 

 

この日は風が強く、黄砂の影響もあるという予報。3月31日。

 

 

 

皇太子殿下御散策之磧碑。

宮内省は松林の中に皇室専用の鈴川ゴルフ遊技場・6ホールを作り、昭和天皇が皇太子の時に、沼津御用邸から鈴川にいらして練習をなさったのですって。

 

 

 

わーッ、ラッキー! 富士塚と富士山がちゃんと重なって見えます。

富士山がこのように美しく姿を現してくれるのは珍しく・・・、この季節はやはりいいですねえ。

 

 

 

 

”ふじ爺”さまが先ず登頂。今回の村山道行と今シーズンの富士登山の無事を祈ります、とムラヤマフジコちゃんは想像します。

 

 

 

続いて全員が登って、海岸で拾ってきた小石を奉納し、この日の安全を祈願しました。

いまはコンクリートで固められた富士塚(昭和51年造)。それまでは砂山で、登拝者は海岸で水垢離を行い、玉石を持ってきて砂山に積みあげ、登山の安全を祈願したそうです。

 

 

 

わーい、六地蔵さまの背景も富士山!そして愛鷹連峰。

後ろの下は東海道線だから遮るものがない。

 

 

 

かわいいお顔のお地蔵様も満足そう。村山古道の報告や寒中見舞い等で時々ご登場願っています。有難うございます。

 

 

 

皆さんが覗き込んでいるのは六地蔵の横に建つ焔魔堂。

 

 

 

初めて閻魔堂の中の写真を撮らせていただきました。

正面にお地蔵さま、右に閻魔さま。

 

 

 

お地蔵様の左の柱の影になって良くは見えないけれど、あばら骨の胸がはだけているのは奪衣婆(だつえば)じゃないかしら。三途の川を渡ってきた死者の着物をはぎ取り、濡れた着物の重さで罪の重さを計るという。

 

奪衣婆は寺院の境内などで比較的よく見かけるけれど、懸衣翁(けんえおう)というのもいる。こちらは今までに2回出会えたかしら、という程度。その写真を載せようと記憶をたどります。

「地下鉄の地上を歩く会」で確か板橋区の方で見たと思う。ということは都営三田線? 探して、探して・・・、でも「見つからないよ―!」

ネットで見ると文殊院らしい。

 

 

 

あった!文殊院。(2017年11月21日 下見時)

でもこの写真だけで、閻魔王と奪衣婆、懸衣翁を撮った写真はないっ!

撮影禁止だったのかしら。あ〜ぁ、疲れたーっ!

もう一回はどこだったかしら・・・、皆目見当がつかないでいます。

 (つづく)