田子の浦を初めて知ったのは百人一首の「田子の浦に・・・」。
どこにあるのかも知らず丸暗記していた幼い日。
次に意識したのは週刊誌。目の前の海が白茶けた泡でモクモクとふくれ上がっていた。中学生か高校生?
(週刊誌でもう一つ強く印象に残っているのは黒い死体の山。関東大震災か、東京大空襲か、原爆だったか・・・。)
皆が気に入った小石を拾いました。ムラヤマフジコちゃんは富士山型の三角の石。
この日は風が強く、黄砂の影響もあるという予報。3月31日。
皇太子殿下御散策之磧碑。
宮内省は松林の中に皇室専用の鈴川ゴルフ遊技場・6ホールを作り、昭和天皇が皇太子の時に、沼津御用邸から鈴川にいらして練習をなさったのですって。
わーッ、ラッキー! 富士塚と富士山がちゃんと重なって見えます。
富士山がこのように美しく姿を現してくれるのは珍しく・・・、この季節はやはりいいですねえ。
”ふじ爺”さまが先ず登頂。今回の村山道行と今シーズンの富士登山の無事を祈ります、とムラヤマフジコちゃんは想像します。
続いて全員が登って、海岸で拾ってきた小石を奉納し、この日の安全を祈願しました。
いまはコンクリートで固められた富士塚(昭和51年造)。それまでは砂山で、登拝者は海岸で水垢離を行い、玉石を持ってきて砂山に積みあげ、登山の安全を祈願したそうです。
わーい、六地蔵さまの背景も富士山!そして愛鷹連峰。
後ろの下は東海道線だから遮るものがない。
かわいいお顔のお地蔵様も満足そう。村山古道の報告や寒中見舞い等で時々ご登場願っています。有難うございます。
皆さんが覗き込んでいるのは六地蔵の横に建つ焔魔堂。
初めて閻魔堂の中の写真を撮らせていただきました。
正面にお地蔵さま、右に閻魔さま。
お地蔵様の左の柱の影になって良くは見えないけれど、あばら骨の胸がはだけているのは奪衣婆(だつえば)じゃないかしら。三途の川を渡ってきた死者の着物をはぎ取り、濡れた着物の重さで罪の重さを計るという。
奪衣婆は寺院の境内などで比較的よく見かけるけれど、懸衣翁(けんえおう)というのもいる。こちらは今までに2回出会えたかしら、という程度。その写真を載せようと記憶をたどります。
「地下鉄の地上を歩く会」で確か板橋区の方で見たと思う。ということは都営三田線? 探して、探して・・・、でも「見つからないよ―!」
ネットで見ると文殊院らしい。
あった!文殊院。(2017年11月21日 下見時)。
でもこの写真だけで、閻魔王と奪衣婆、懸衣翁を撮った写真はないっ!
撮影禁止だったのかしら。あ〜ぁ、疲れたーっ!
もう一回はどこだったかしら・・・、皆目見当がつかないでいます。
(つづく)