紀尾井町 清水谷公園で「廣群鶴」と再会 ① 大久保利通がとりもつご縁 | 一人、"地下鉄の地上を歩く会"

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山や街を歩いて見聞したことや身の回りのことなどをお話しします。

紀尾井ホールでマンドリンのコンサートを聴いたあとは、ホテルニューオオタニとの間の紀尾井坂を通り・・・、

 

 

 

紀尾井町通りへ右折。

明治11年(1878)5月14日、この付近(麹町清水谷)で大久保利通は暗殺されました。

 

 

 

その近くに明治21年(1888)5月、「贈右大臣大久保公哀悼碑」が完成しました。

 

 

 

この周辺は、紀伊徳川家、尾張徳川家、彦根井伊家の屋敷があって、谷があり清水が湧き出ていたことから清水谷と呼ばれていたそうです。

 

 

 

この景勝の地に建てられた大久保利通遭難記念敷地一帯が東京市に寄贈され、明治23年3月「清水谷公園」として開園されました。

 

 

 

あら、前の扉が開いているわ。いつも開いていたかしら。入っても良いってことね。

 

 

 

 

近づいて見ると、「贈右大臣大久保公哀悼碑」の文字の周囲には絵柄(龍かな?)が刻まれているのですね。

 

 

 

後ろに回ってみました。大久保利通を惜しみ功績を称え哀悼の意を示すというようなことが書かれているようです。

 

 

 

あっ!と声を上げそうなくらい驚いたのは、側面に彫られた「廣群鶴刻字」という文字。

 

 

 

 

廣群鶴(こうぐんかく)!!!

私の中で吹き荒れた時期がありました。素通りはできません。

(つづく)