地下鉄の地上を歩く会 丸の内線-7① ✿ 服部半蔵と信康がしのばれる西念寺 潮干観音の真成院 | 一人、"地下鉄の地上を歩く会"

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山や街を歩いて見聞したことや身の回りのことなどをお話しします。

第86回「地下鉄の地上を歩く会」は丸の内線の7回目。
1月28日は東京湾を震源とする震度3とか4の地震があった日で、エレベータに乗っていたとか、電車が一時止まったとか、歩いていて気が付かなかったとか話している間に聖イグナチオ教会の鐘の音。10時かしらと思ったらまだ9時50分。

 

 

 


初めにむかったのは浄土宗の西念寺(さいねんじ)。「鬼半蔵」と呼ばれるほどに戦功をあげた服部半蔵正成公(1542~1596)の開基です。
皇居の「半蔵門」は服部半蔵に由来するのですね。江戸城の西門近くに居を構え、城の警備等にあたっていました。

 

 

 


本堂にはご本尊の阿弥陀如来像が祀られ、隣の床の間には服部半蔵が徳川家康公から拝領した槍が置かれています。

安政時代の地震で穂先が折れ、第二次大戦の空襲により柄が焼け焦げてしまいましたが、現在の長さは258cm、太さは約5cm、重さ約7.5㎏。

 

 

 

岡崎三郎信康供養塔。
徳川家康の長子、信康公は織田信長の娘をめとりました。しかし信長は信康の優秀さへの恐れと猜疑心(一説には武田勝頼との内通を疑う)により、信康の切腹を家康に要求してきました。家康は徳川家安泰と織田家との同盟関係維持のため、断腸の思いで最愛の長子、信康公に切腹を言い渡したのです。

 

 

 

服部半蔵の墓。
信康公の切腹の際、介錯役を命じられましたが「鬼半蔵」の異名をとった服部半蔵といえども仕えていた主君に刃を向けることができず、この役目を果たすことができませんでした。このことから世の無常を感じ、信康公の御霊を弔うため仏門に入ったそうです。
昨年はNHKの大河ドラマ「どうする家康」を見ていましたが、この場面と重なることが多い西念寺でした。

 

 

 

観音坂を下りて南無薬師如来と潮干観音の旗がかかる真成院(しんじょういん)に向かいます。

 

 

 


真成院の受付でご挨拶してから・・・、

 

 

 


潮干観音が祀られている3階の本堂に向かいます。

 

 

 


本堂には中央にご本尊の潮干観音(しおひかんのん)と言われる十一面観世音菩薩像が祀られています。昔はこの辺が海岸であり、潮の干満によって観音像の台石がしっとり濡れたそうです。

 

 

 


「せっかくだから般若心経をあげてよ」と言う声があり、でもその日はしっかりとあげられる人が欠席。私を含めうろ覚えの人が数人で写経の半紙を見ながら読みあげるという始末。気が付いたらご真言があったので、「あら、無理しないでこれを唱えれば良かったのね、」と大笑い。

 

 

 


天井画が印象的でしたが、いま見ると7種の花の繰り返しなのですね。
 (つづく)