"魅惑の低音” フランク永井が歌う「有楽町で逢いましょう」、流行りましたねえ。まだ小学生か中学生?有楽町がどこかも分からずに歌っていました。
2000年に閉店した有楽町そごうが、1957年に開店した時の宣伝文句。
同名の映画もあったのですね。京マチ子、管原謙二、川口浩、野添ひとみ・・・、うーっ、懐かしい。
そごうはその後、ビックカメラになっています。右に見えるガラスの屋根は前回訪れた東京国際フォーラムです。こちらに載せました。
有楽町駅前の広場に南町奉行所跡の石碑。
南町奉行と北町奉行、管轄を分けていたのではなく、月番制だったとか。
大岡裁きで知られる大岡越前守忠相は南町奉行で、桜吹雪の遠山の金さんこと遠山金四郎景元は北町奉行で活躍したそうです。
有楽町マリオン(元 日劇)のからくり時計はサンタクロース。
丸の内線の6回目は昨年の12月17日(日)。皆の都合が良いように、JR有楽町駅中央口に午前10時集合。
時節柄クリスマスムード溢れる場面だけ集めて12月18日に載せました。こちらです。
数寄屋橋の年末の宝くじ売り場です。こんなに長い行列、特に1番窓口が良く当たるのかな。年末の風物詩ですね。
銀座は並木通りを歩いています。
朝日新聞は大阪で始まったのですね。ここは明治21年(1888)に社屋を構えた「東京創業の地」です。
明治42年(1909)、24歳の石川啄木が校正係として朝日新聞に入社しました。
京橋の滝山町の新聞社
灯ともる頃のいそがしさかな(一握の砂)
この石碑は啄木没後60年を記念して建てたものです。
並木通りもお洒落な店が多くて、そぞろ歩くだけでも楽しい。
銀座西六丁目を左折して弘潤会ビルの前にきました。
交詢ビルは昭和4年(1929)に建てられたアメリカ風モダニズムの風格ある建物。平成16年(2004)、老朽化のため建て替えられ、正面部分のみが前のまま残されています。
午前の陽が斜めに差し込んで一層風格をあげていますね。
歌舞伎役者市村羽左衛門(十五代目 1874~1945 とってもハンサムだったそうです)が度々訪れたことで脚光を浴び、歌舞伎役者や芸能関係者の崇敬を集めているそうです。
文久3年(1863)に開業し、1950年代に改築された銭湯です。
弓矢の看板は、「弓を射る → 湯入る」で洒落ですね。□の中の弓矢が見えるかしら。
銀座煉瓦遺構の碑。
銀座は日本に2か所しか建設されなかった貴重な煉瓦街の一つなのですって。とはいえ、実際に煉瓦造りだったのは全体の4割程度とか。残りは漆喰を塗った木造や蔵造が多かったそうです。
(つづく)