天延年間(973~976年)に創建された「厚木神社」。
厚木宿は江戸から十三里(50.7㎞)離れているけれど、大山街道のほか、八王子道や相模川の物流輸送など、交通の要衝として賑わい、江戸に劣らぬ家並みが軒を連ねて小江戸とも呼ばれていたそうです。
この辺を見学中の10分間ほど雨がザーッと降ってきました。
「あ」の字を鮎の尾でも表しているそうで、なるほどねえ。
「渡辺崋山滞留の地」
天保2年(1831)9月に萬年屋に滞在。厚木の著名人などと交流を深め、「厚木六勝絵」を残しています。
昼食は「手打ち蕎麦 わしず」。
「蕎麦」とは全くイメージが違う建物を見て、「大丈夫かいな?」と思ったけれど、それを裏切られるような感動する美味しさで皆大満足。
店を出るときに、「店主の小説がコミックス化」という表示が目に入り、一瞬のどよめき。
朝のTSUTAYA BOOKSTORE の SHARE LOUNGEと言い、海老名市立図書館と言い、有鹿神社と言い、新しい時代の流れをひしひしと感じたのでした。
境内はハナズオウや牡丹、ミツマタ等が見頃でした。(4月2日)
宝安寺の先の旭町三丁目交差点を右折すれば本厚木駅。私たちは直進して「最勝寺」へ。
残念ながら境内の中へは入れずそのまままた直進。
渡辺崋山の「厚木六勝」の「熊林ノ暁鴉(ゆうりんのぎょうあ)」とあるのはここの図。
熊野神社の説明板に書かれた『聖護院門跡の道興(どうこう)は、本山修験を広めるための東国巡歴の途上、文明18年(1486)に熊野堂を訪ねています』の一文に注視。
京都の聖護院の草分俊顕師を先達に今年の「富士山峯入り修行」は8月20日から23日の3泊4日。
これに参加の予定者は大山詣り仲間にも5~6人いて、聖護院にはとても親近感があります。
なにより大山詣りの中心的人物・畠堀操八氏は「富士山峯入り修行」の先駆けや事務方を努め、すでに地元の挨拶回りや企画に奔走しています。
やや、この子たち。前のめりに座り込んで何やらゲームに夢中のよう。
「雨宿りしてから、ずっとこのままここにいるんでしょ。」と聞くと、
「そうですー。」と、こちらを見ずに答える熱中ぶり。
1時間半もこうしていることになる。
樹齢五百年と推定される大イチョウ。さまざまな時代の子供が遊ぶ姿を見てきているのでしょう。
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今晩19時~21時 日本テレビ 「1日1便 乗ってきました」
畠堀操八氏は何度も取材を受けてきました。
テレビの番組画面では大分県、鹿児島県などもあり内容は豊富なようだけれど、静岡県の紹介の一つに「・TV初!富士山最古の登山道」とあります。
楽しみですねえ。
畠堀操八著『富士山 村山古道を歩く』
この本に出会って、私はムラヤマフジコちゃん(村山古道にのめり込んだ富士山大好きな女の子)になりました。