シニア大楽アイデア・脳トレ教室で東芝未来科学館へ③ ✿ 東芝 藤岡市助 タングステン電球 | 一人、"地下鉄の地上を歩く会"

一人、"地下鉄の地上を歩く会"

山や街を歩いて見聞したことや身の回りのことなどをお話しします。

  

万年時計(万年自鳴鐘) 複製       

田中久重は30代半ばで上方に出てからは時計師として最高峰の職人に上りつめました。

明治時代になってからも西洋の科学技術にチャレンジ。

明治8年(1875)に現在の東京銀座8丁目に電信機関係の田中製造所を設立。

明治14年(1881)、82歳で逝去しました。

その後、田中製造所は芝浦に移転し、後に東京電気株式会社と合併、東京芝浦電気株式会社となり、東芝の基礎となりました。

 

 

 

 

凌雲閣 模型        

一方、藤岡市助は安政4年(1857)、岩国に生まれました。

大学で電気工学を学び、実業界に転身して日本に電気および電球灯の普及をさせ、「日本のエジソン」「電気の父」と呼ばれるようになりました。

 

明治23年(1890)、白熱舎を設立。

浅草の凌雲閣(12階建ての展望塔)には日本初の電動エレベーターを備えました。

凌雲閣は関東大震災で半壊し解体されたそうです。

 

 

 

また同年(1890)、上野で行われた第3回内国勧業博覧会で、日本初の電車となる路面電車を走らせました。

 

 

 

明治29年(1896)、東京白熱電灯球製造を設立。明治32年(1899)、東京電気に改称。

東京電気株式会社は芝浦に移転した田中製造所と合併し、東京芝浦電気株式会社となり、藤岡市助は東芝のもう一人の創設者ということになるのですね。

 

明治44年(1911)、タングステン電球「マツダランプ」を発売しました。
初期の炭素電球(左)とタングステン電球(右)の明るさの差は明らか!

 

 

 

うわーっ、マツダランプの広告が大きく載った宝塚のポスター!

昭和29年1月の公演です。

たしか、春日野八千代はテレビの舞台中継で見たことあるわ。

新珠美千代は『細腕繁盛記』を良く見ていたっけ。あっ、これも随分昔の話だけれど。

八千草薫は2~3年前まで石坂浩二と倉本聰のドラマに出ていましたよね。

最後まで可愛らしかったですねえ。

シニア大楽組にとって、東芝と言えば何と言っても『東芝日曜劇場』。

池内淳子が良く出ていた?東芝のコマーシャルに出ていたのかな?

懐かしいけれど、記憶は曖昧です。