梅雨が明けようとしている暑い夏の日、私は急行の待ち合わせで駅に止まっている普通電車に乗っていた。
目の前の席には左手でケータイをいじっている少年が座っていた。
右手にはペットボトルを持っている。
少年は喉の渇きを潤わそうとしていたが、どうしてもケータイで気になることがあるのだろう、
ペットボトルとケータイを交互に見ている。
ペットボトルを飲むには、一度ケータイを手放し、キャップを開けなければならない。
飲みたいが、飲めない。そんな葛藤にさいなまれているようにみえた。
人間はというか、男は一度に二つのことが出来ないらしい。
そんな私もそうで、同時に二つのことができない。
女性は鏡を拭きながら、歯磨きができるという。
案の定、少年は左手のケータイに気を取られて右手のペットボトルを床に滑り落としてしまった。
しかし少年はどうしてもケータイが気になるようで、ケータイに目を向けつつ、ペットボトルを拾い上げた。
すると少年はナイスなアイデアを閃いたようだ。
拾い上げたペットボトルを股に挟みこみ、空いたその手でキャップを握りしめた。
(やるやん、少年。)
そう、後は簡単なことだ。
ケータイを見ていても、ペットボトルを股に挟み込むことで安定してキャップをひねり開けることができる。
しかし少年よ、股に力を入れ過ぎちゃいけないよ、中身が飛び出るからね。
少年はケータイを見ながら、右手でキャップをひねった。
(そう、その調子だ。)
二兎追うものは一兎をも得ず?
いやそんなことはない、二兎追って二兎を得たっていいんだよ。
そうやってチャンスを掴んでいけばいいんだよ。
この成功体験が君のサクセスストーリーのベースになって・・・
プシュッ~ シュワシュワシュワ~
少年が持っていたペットボトルは炭酸飲料だった。
少年の意に反し、中身はドンドン溢れてくる。
まるで絵に描いたような炭酸飲料を開けたときの"テッパン"の光景が目の前で繰り広げられている。
少年は固まっていた。
急の出来事に体が動かなかったのだろうか。
いや、電車だったので、周りの雰囲気で慌てて動くことができなかったのかもしれない。
中身の吹き出しが落ち着いたころ、
少年はケータイを片手に握りながらペットボトルを股から抜き取り自分の短パンを見つめた。
まるで漏らしてしまったように股間の周辺が濡れている。
思春期の少年には耐えられないことだろう。俺みたいなおっさんでも恥ずかしい。
少年はいたたまれなくなって、止まっている電車から降りて行った。
しかたないよ少年。
でも俺は知ってるよ、君は漏らしたんじゃない。
友達に漏らしたのかって言われたら、俺が証人になってやる。
「君たち、彼は漏らしてなんかいないよ。これはジュースだよ。命かけてもいいよ。」
振り返ると少年はプラットホームで恥ずかしそうに股間の周りをタオルで拭いている。
大丈夫、今日は暑いしすぐに乾くよ。
そんなことを思いながら、少年が後にした座席を見た。
ちょうど座席の真ん中とその下の床が濡れている。
少年よ、ちょっと待て!
これじゃ漏らしたみたいじゃないか!
これから乗ってくる乗客が座ろうとしてこれを見たら、どう考えてもそう見える。
そしてその前に座っている俺を見て、乗客は俺に目で語るだろう。
「まさかこれ、もしかして?」
俺はその時どうしたらいいんだ!
「いや、これはジュースですよ。命かけてもいいですよ。」
いやいや、誰がこんなおっさんの言葉を信じるんだ!
むしろそんなことを真顔で言ったら変態だと思われるかもしれない。
少年!君はこの電車に残ってこの状況を説明する責任がある!
待ってくれ少年!
過去を拭き去ろうとしている窓の向こうの少年の姿が小さくなっていった。