青い媚薬 ポワゾン
アア アッ・・・・・・
オ・ハ・ヨ
キャーーーー
「朝シャン中なのよっ」
「出ていってっ!」
「ああ、行かないで!」
「どっちなの」
「いていいの、 いなくていいの」
「今は 出ていって!」
「ねえ、お願い、わたしのプライバシーを侵害しないで!」
まり子は、湯沸かし器の温度設定をキッチン仕様のままで、
シャワー用に温度を下げるのを忘れていた。まり子はシャワー
で、赤く火照った豊満なラインにバスタオルを巻き、濡れ髪
でバスルームを出た。
「ブルー、ブルー、いるの・・・・・・」
「なあーに」
「ブルー・スターダストが、ただのガラス玉になっちゃったの」
「うふふ」
「おばかさんねっ」
「もう、ブルー・スターダストは永久 ログイン中なのよ」
「不朽の名作って感じね!」
「まり子さんの名作はどんな感じ」
「あたし、もう、疲れちゃった」
「あなたは自分の肉体を疎ましく感じているでしょう・・・・・・」
「こんな身体なんて、地上から消えてしまえばいいんだって」
「いっそ流れ星になればいいってね」
「セクシーなボディーなのにねっ」
「流れ星は大気に突入して、無限煉獄の炎の中で光り輝いてい
るのよ」
「青い星、地球は宇宙のパンドラの箱なのよ」
「でもほんとうは、パンドラの箱の中に最後に残されたものは、
希望じゃない」
「涙なの・・・・・・」
「絶望から湧き上がる悲哀なのよ」
「悲しみを感じる無垢の心」
「悲しみから優しさがはぐくまれる」
「優しい無垢の心からは、強靱な意志と英知が生まれるのよ」
「青い星に残された最後の希望は、涙する心なの」
「心は五感を束ねる自由な意識」
「五感の裏側にあるもうひとつの感覚器」
「直観とも言うのよ」
「胸の痛みと歓び、心臓の鼓動は、生命が太古の海で最初に獲
得した 1/ f ゆらぎのバイオリズム」
「潮の満ち引きがきっかけなの」
「生命の細胞の起源は、浜辺の気泡の中で育まれたのよ」
「悠久の浜辺に漂う光の気泡、ブルー・スターダストの気泡の
ようなもの」
「でも、もう、あたし疲れちゃった」
ブルーはまり子の部屋のテラスで、外の景色を見ながら喋り
続けた。
「意識は、完全で絶対な自由の存在、そして不自由な外界と、
自由な意識の中間でゆらいでいる存在なの・・・・・・」
「宇宙も、完全で絶対な存在、そして、正エネルギーと負エ
ネルギーの中間でゆらいでいる存在」
「意識と宇宙、その共通項は、お互いにお互いが存在できるた
めに、お互いに必要な存在なのよ」
「共進化して永遠に存在し続けるのよ」
ガシャーッー
青い媚薬、ポワゾンの毒薬の、からのガラス瓶が床に落ちて
割れる音だった。
限りなく透明に近い青色の、こまやかな粒子がキラキラと宙に
舞っていた。
時の鼓動 デジャヴ
まり子の病室の窓辺にはコスモスの咲く裏庭が広がっていた。
コスモスの花は秋の優しい風にそよぎ、青い海原のように波
うち、花壇のそばの黄色く色付いた銀杏の葉は、やわらかな日
差しでキラキラと輝いていた。
夕暮れになると、銀杏の黄色い葉は、ときおり吹く強めの風で、
コスモスの海原にさらさらと舞い降り、薄紅色のコスモスの花
は夕陽で黄色く色付き、月の小舟のように青い海原に漂いはじ
めた。
でも、翌日になると、散ったはずの銀杏の葉は、もとの小枝に、
コスモスの花びらは同じところで秋風にそよいでいた。
毎日毎日同じことが繰り返されていた。
まり子は特殊病理病棟のベッドに横たわっていた。
まり子の肉体は37年間の仮死状態のままで、老化せず若さを
維持し続けていることが最新医学にも解明できない謎であった
ため、特殊病理病棟で大切に保護されていた。
しかし、蘇生されたとしても、肉体は数日の運命のはずだった。
「まり子さん、お早う!」
ナースの和代がまり子の看護を買って出たのだった。
和代は、孤児のまり子の子供時代から、我が子のように優しく
接していた。
「今日もだめかしら、意識は戻らないのかなあ」
和代は口をつぼめて呟いた。
「脳波オッケー、心電図も正常ね」
和代はまり子に話し掛けるように言った。
「体温は33度・・・・・・もうちょっと欲しいわね」
「和代さん、おはよう」主治医の高田医師が扉を開けるのと同
時に和代に声をかけた。
「お・は・よ・・・・・・」
高田と和代は見つめあった。
「君・・・・・・ じゃない!」
高田と和代は同時にゆっくりと、まり子のベッドを振り向いた。
永遠とも思われる時間のひずみから、儚い命の灯が、かげろう
のように立ちのぼった瞬間であった。
頬にほんのりと赤味を蘇らせたまり子は、主治医の高田に数日
の運命であることを知らされた。
「わたし・・・・・・会いたい人がいるの・・・・・・」
まり子は高田と和代を交互に見つめて懇願した。
まり子は病院の手続きを済ませ、教会通りに出て、中央線の
荻窪駅に向かって歩いた。
まり子は大通りを抜け、駅前の緑の広場に出た。
まり子は街並を見て青ざめた。
あたたかな血液が凍り付き、全身の力が抜けてゆくようだった。
そこには、まり子の知る荻窪の町並みはなく、見知らぬ外国に
迷い込んだような感覚だった。
まり子は37年間の哀しみと孤独が、一気に溢れ出てくるのを
感じた。
まり子はそれでも、自宅があった方角にむかって歩こうとした。
地に足が付いていないような脱力感を必死にこらえて歩いた。
駅前の街並はドームシティーのようになっており、看板も電柱
もなく、都市整備されていた。
書籍の店鋪に並ぶ保存本はデジタル化されており、昔ながらの
紙の雑誌書籍は骨董品扱いされ、貴重品になっていた。
まり子はドームの街並を抜けて川に出た。
「善福寺川・・・・・・善福寺川だわ!」失われた37年の時を超え、
数ヶ月前の想い出のように、まり子の心の記憶を蘇らせた。
川の水は昔の善福寺川よりも綺麗で、澄んでいるように見えた。
まり子は川上に歩き、おぼろげな記憶に残る橋を探すことにし
た。
昔、あの時代、自宅は橋のそばにあった。
途中、ブックオフの書籍店の上部外壁に設置したデジタル画面
に懐かしい映像が見えた。
(シルバーピンクの三日月だわ!)
デジタル書籍の装丁のデザインだった。
まり子は書籍店の店頭に目を落とした。
そこの棚に並ぶ古びた紙本の背には、[ セーシェルの月の小舟 ]
の文字が印刷されていた。
セーシェルの月の小舟は、まり子が三十歳のころに出版した詩
集であった。
まり子は棚から本を取りだすと、丁寧に1ページずつめくり、
後半のページをひらき、忘れていた過去の記憶の私小説SF、
「ブルー・スターダスト」を見つけた。
巻末にブルーのメッセージが刻まれていた・・・・・・。
コスモスの丘
ブルーの海原
三日月の石碑
十字綺羅星座
ムーン・ウエーブの雫
まり子は「セーシェルの月の小舟」の詩集を小脇にかかえ、
コスモスの丘に呆然と立ちつくしていた。
三日月の石碑はまり子の墓でもあった。
まり子の墓は横浜の海の見える高台にあった。すでに墓石
は苔生し風化していた。
墓石のまわりにはコスモスの花が初秋の風にそよいでいた。
その高台からは、ターコイズブルーの海と、横に長く白いラ
インを描く太平洋の波が岸に打ち寄せていた。
M a r i k o 碑
わたしのお墓の前で
風にそよぐコスモスの花の中で
佇み泣かないでください
わたしはそこにはいません
わたしは今も生きています
わたしは向日葵畑をふきわたるそよ風
わたしは秋の大地に舞う枯葉
わたしは冬の空にきらめき乱舞するダイヤモンドダスト
わたしは春の暖かな日溜まり
わたしは夏の木漏れ日
わたしは光り輝くスターダスト
あなたが夜の静けさの中で涙する時
わたしは夜空に翔けめぐる星となって
弧を描き光り輝く流れ星になります
わたしは夜に輝くやさしい星々たちとともにいます
わたしのお墓の前で佇み嘆かないでください
わたしはそこにはいません
わたしは今も生き続けています
「なぜ・・・・・・」
「どうして」
「あたしのお墓があるの」
「あたしは、あたしは・・・・・・」
「ブルー、ブルー、ブルー・・・・・・」
「まり子さん、お早う!」
ナースの和代が、まり子の看護を買って出たのだった。
和代は、孤児のまり子の子供時代から、我が子のように優しく
接していた。
「今日もだめかしら、意識は戻らないのかなあ」
和代は口をつぼめて呟いた。
まり子は時の狭間に、時の鼓動デジャヴの世界に漂っていた。
「和代さん、おはよう」主治医の高田医師が扉を開けるのと同
時に和代に声をかけた。
「お・は・よ・・・・・・」
高田と和代は見つめあった。
「君・・・・・・じゃない!」
高田と和代は同時にゆっくりと、まり子のベッドを振り向いた。
まり子に時間のひずみの2度目の朝がおとずれた。
頬にほんのりと赤味を蘇らせたまり子は、主治医の高田に、ま
り子の身体が老化せず、肉
体の衰えが全くないことを告げられた。
「わたし、わたし・・・・・・」
「ずっと寝ていたの・・・・・・ずっと寝たきりだったの・・・・・」
まり子は高田と和代を交互に見つめて尋ねた。
「そうよ」
「まり子さん、分かる・・・・・・ナースの和代よ」
「えっ、和代さん・・・・・・ナースの・・・・・・」
まり子は、和代の昔の面影を想い起こし、白い髪の混ざる和代
の姿に永い空白の歳月を実感した。
まり子は主治医の高田に精密検査された後、病室に戻ると、朝
食がベッドのサイドテーブルに置かれていることに気付いた。
(違う、昨日と違ってる)
まり子は昨日の出来事が、夢なのか現実なのか確かめたい衝動
に駆られた。
まり子は朝食を済ませ、ナースの和代に少し散歩したいと懇願
した。
「うん、分かった、先生に訊いてくるね」
1時間ほどして和代は微笑みながら病室に戻ってきた。
「うん、オッケーよ」
「ああ、ありがとう、和代さん」
まり子は病院の手続きを済ませ、教会通りに出て、中央線の
荻窪駅にむかって歩いた。
まり子は大通りを抜け、駅前の緑の広場に出た。
まり子は今度は二度目なので、街並の変化には驚かなかった。
「やっぱり、昨日の記憶と同じだわ」
「夢なんかじゃなかった、現実だったんだわ」
まり子は自宅があった方角にむかって歩いた。
昨日と同じように、地に足が付いていないような脱力感を必死
にこらえて歩いた。
(善福寺川だわ・・・・・・)
川の水は昔の善福寺川よりも綺麗で、澄んでいるように見える
のも昨日と同じだった。
まり子は川上に歩き、記憶に残る橋を探し、昨日のブックオフ
の書籍店をさがした。
三日月のデジタル書籍の装丁のデザインを探した。
まり子は書籍店の前までたどりついた。
棚には古びた紙本の [ セーシェルの月の小舟 ] の詩集が昨日と
同じ位置に並べられていた。
「あった、あったわ」
まり子は棚から本を取りだすと、もう一度、丁寧に1ページず
つめくり、後半のページをひらき、私小説SF「ブルー・スター
ダスト」を見つけた。
巻末にブルーのメッセージも刻まれていた。
まり子は本屋の店員に、昨日と同じように気付かれないように
ブラウスの裾で本を隠し持ち帰ろうとした。
しかし昨日のようにはうまくいかなかった。
「お客さん、支払いはお済みですか・・・・・・」
「えっ・・・・・・これ、この本はわたしの本なの」
「わたしが書いた本」
「ちょ、ちよっと待ってよ」
店員は、まり子から本を取り上げ、無造作に本の裏表紙をめく
った。まり子の写真と経歴が印刷されていた。
店員の視線は写真とまり子の顔を何度も往復して、まり子の若
さと美貌に目を丸くして言った。
「ああ、僕、あなたのファンだったんです」
「これ贈呈します、僕のアルバイト代で代金は払っておきます」
まり子は、にこっとして、丁寧に頭を下げてお礼を言った。
まり子は胸の中で呟いた。
(ファンだった、って・・・・・・今はどうなのよ・・・・・・」
相変わらず、気性は昔のままだった。
人の性格は永い歳月が経っても変わらないようだ。
まり子は病院に戻ると、ベッドの中で、デジャヴの時空から抜
け出す方法を考えていた。
まり子は、ブルーが「セーシェルの月の小舟」の詩集の巻末に
残してくれたメッセージをもう一度考え直した。
コスモスの丘
ブルーの海原
三日月の石碑
十字綺羅星座
(最後の言葉、十字綺羅星座は天の川にかかる白鳥座だわ)
(夏の夜空の真ん中に位置する星座)
(わたしの十字綺羅星)
(昼間じゃいけないんだわ)
夏が終わった初秋は、まだ夏の名残日を残していた。
星空もまり子の最後のチャンスを叶えようとしていた。
まり子は病院の消灯時間を待ち、病院の外出許可をとらず、和
代にも内緒にして夜の教会通りを荻窪駅にむかって走った。
まり子はコスモスの丘の墓の前に佇み夜空を見上げた。
まり子の悲哀と孤独を星の光がやさしく包み込むように、眼下
の太平洋の彼方からスターライト・セレナーデが、潮騒のはざ
まをくぐりぬけ、月の光できらきらと輝く海の波間から、まり
子の耳もとに微かにきこえてきた。
瞳に星降る夜
夜空を
流れ星が埋め尽くす
異国の海を渡りきたる
ソナタの風よ
碧き海に漂う
ボヘミアンの月よ
真紅に燃える
狂おしき幻想よ
淡き桜貝を抱き
未だ目覚めぬ白き砂浜よ
まどろみ惑う
星の息づきよ
海よりも碧き
無垢の月の光よ
悠久の夜空に
届けよ
君の瞳に星降る夜
君の夜空を
流れ星が埋め尽くす
まり子は石碑に佇み、かすかに聞こえてくる憂愁なセレナー
デに涙した。
すると、まり子の涙の一粒が、石碑の表面に刻まれたMarikoの
aに降り注がれ、奇跡が起きた。
涙でaが@マークの二重円のようになり、涙の球面が月の光で
青く光り輝きはじめた。
小さな青い星のように。
そして初秋の夜空は、白鳥座の十字綺羅星と満月と地球が直線
上に位置していた。