「時々ベートーヴェン」vol.4~ヴァイオリン・ソナタ第7番 | しじみなる日常

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ひとつひとつは小さな蜆(しじみ)でも、蜆汁になったときの旨みは格別な幸せをもたらしてくれます。私の蜆汁は「クラシック音楽」。その小さな蜆の幸せを、ひとつひとつここで紹介できたらなあと思っています。

1802年10月、ベートーヴェンはウィーン郊外のハイリンゲンシュタットにおいて、二人の弟に宛てて手紙を書いています。

ベートーヴェンの死後発見されたこの手紙は「ハイリンゲンシュタットの遺書」と呼ばれるもので、彼の難聴の苦悩が綴られています。

実際に彼は自殺したわけではないし、自殺を考えたものの思いとどまった旨が記されているので「遺書」というのは正しくないのかもしれません。

しかしながら、音楽家にとって致命的な耳疾、「自殺」が頭に浮かんほどの苦しみは、想像に余りあるものです。


同年、このハイリンゲンシュタットにおいて、彼は6番7番8番の3つのヴァイオリン・ソナタを完成させています。

作品番号30が付されたこの3つのソナタは、ロシア皇帝アレクサンドル1世に献呈されたもの。

今日はこの中からヴァイオリン・ソナタ第7番ハ短調op.30-2を取り上げることにいたしましょう。

ヨゼフ・シゲティのヴァイオリン、クラウディオ・アラウのピアノ。録音はなんと!1944年です。


ベートーヴェンの10曲あるヴァイオリン・ソナタのうち私が最初に好きになり、いまなお愛聴して止まないのがこの7番です。

アイザック・スターンのオムニバスCDに第1楽章だけ入っていて、「ああ、これを全部聴きたい!」と思ったのが最初。

それからシュナイダーハン&ゼーマンのCDを購入し、最近はもっぱらピリス&デュメイ盤を聴いています。

どの演奏を聴いても何かしらの感慨があるのですが、しかし、このシゲティ&アラウ盤ははるかに強烈でした。


第1楽章。

「怒涛」の演奏とはかくや!という激しさ。録音が古く、音は相当悪いので余計にそう聴こえるのかもしれませんが、スゴイです。

ブツブツ雑音が入る中で、アラウの低音がドコドコ響く。シゲティのヴァイオリンもキシキシ唸っているように聴こえます。

逆巻く荒波、打ち寄せる大波。吹き付ける雨風に、あのモシャモシャ髪を煽られ、いかつい顔をさらに苦悩にゆがめたベートーヴェンの姿が見えるようです。


第2楽章Adagio cantabile。

ここには晴れ渡った空と凪いだ海の穏やかな時間があります。

ヴァイオリンは、深く深く息を吸って、ため息のようにホゥと吐き出す、そんな安らいだ息遣いのよう。ピアノは優しく暖かく顔に当たる陽光でしょうか。

この2人の緩徐楽章は本当に素晴らしいです!


短いスケルツォの第3楽章を経て、終楽章へ。

ここには苦悩を秘めながらも、勇壮と歩き出すベートーヴェンがいます。

あ、これはアーノンクール&ウィーン・フィル で聴いた交響曲第7番の終楽章と同じ印象です。

めくるめくスピードのコーダが、ベートーヴェンの悲愴な、だけど決然とした姿を象徴するようです。

「がんばれ、ベートーヴェン!」。つい、こう声をかけたくなるのでした。


このロシア皇帝に捧げられた3つのヴァイオリン・ソナタのうち、この7番だけが異彩を放っています。

ほかの2曲は長調で、聴き手を意識した優美さや軽快さ、そして素晴らしい技巧を伴った作りになっているのに、この7番は妙に生々しいのです。

この時期のベートーヴェンの感情が吐露されているように思えます。

難聴の苦しみ、音楽への愛情、そこから得られる安らぎ。

このシゲティ&アラウ盤は、そういうことを感じさせてくれる名演だと思います。

音が悪いのなんてなんのその。繰り返し聴いていると、耳に馴染んでくるのです。むしろ、半世紀以上前のこうした名演が聴けることを私は幸せに思います。


シゲティ(ヨーゼフ), ベートーヴェン, アラウ(クラウディオ)
ベートーヴェン:VNソナタ全集