Oslo 感想2 | Lyrics for M

Lyrics for M

何する?

Oslo、2回目観劇してきました。
これでわたしのラスト!


ネタバレです。







面白かったという感想が多いと思う。
一緒に観劇してくれた人たちもそう言ってた。
面白い場面はたくさんある。
先週観た時よりも演者や観客が慣れてきたせいか、笑い声も増えた気がする。
わたしも笑った。

でも、観終わった時、胸を支配するのは何か違うものだ。



今日もテリエは熱弁をふるい、屈辱にももどかしさにも耐え、無力感さえ目標の為乗り越えていく。
(熱弁過ぎて、私だったら逃げたいレベル(笑))

会合がオスロ合意という成果へ近づくのに反比例して、自分達の手を離れていくことさえ、明るい夫婦は笑い合って喜ぶ。

この舞台、女性が平和の使者そのもの。
みんなママが好き。
世界共通ママが好き。


舞台はオスロ合意のその後についてもしっかり触れる。

和平を結んだ後も続くテロ。
重要人物の暗殺、病死…。


歓喜から一転、苦痛に苛まれるテリエの魂の独白。
「しかし、私たちは成し遂げたのです(意訳)」と。


このラストの苦悩に観客のカタルシスは無い。
そのまま宿題をもらって現実に直面する。
けれど、不可能と思われたことも一度は実現したのだというテリエの訴えは、未来への希望。
小さな成果を積み上げ、とにかく前へ進んでみるというテリエの信じる手法は、失策ではなく、戦いに倦んだ人々がやっと一つ手にした成功体験だったはず。


諦めずに愚直に、時にはハッタリも。
一つのテーブルを囲んで、顔を合わせ、言葉を交わして、相手を知り、信頼関係を築く、
普通のこと。


それにしても、「私たち」とは誰のことか気になった。テリエとモナ夫婦のことか。登場人物全てのことか。
登場人物全てと見た方が、話として美しくまとまっている。
でも、他国の為奔走した、自分たち夫婦のことを指してるように見えた。
ラスト近くから、悔しさを時々覗かせるテリエが、人間らしくて逆にいい…と思うのは、わたしという人間の欠陥か(笑)


昌テリエは、自分の設立した研究所の大事な会議をほっぽり出して、中東和平に奔走する。
(部下からそう揶揄されている)

純粋な平和への思いだけでなく、世界を変える出来事を成し遂げたいという野心もあったように見えた。
ノルウェーがこんな小さな国じゃなければ…。
何故そこにビル・クリントン‼︎(笑)となったよね。
ってか、ダヨネーってなったよねー。
うがった見方だとしたら申し訳ないけど(笑)

でも、そんな腹、野心が垣間見えるテリエの方が、結果として信用できるかもしれない。

ノルウェーが小さな国であるというセリフがあったので人口を見てみたら、わずか530万人あまりでした。
東京都は1300万人。
わが埼玉でも730万人。
テリエさん、今はどんな案件を扱っているのかな。引き続き中東なう?
歴史にジ・エンドは無い。


「我々は過去に生きてはいけない」というハサン(だったかな)のセリフは、悲しくも少し空虚に聞こえる。
無かったことにはならない記憶を薄めていくコンセンサスは、長い時間をかければ得られるというものではないと歴史が証明している。
それでも愚直に何度でも立ち上がるしか無い。
オスロ合意に至るたった9ヶ月の間にさえ、そうした局面は何度もあった。

どうしたらいいんだろうね?
教育って、本当に大事だよね。
他者を知ること、洗脳じゃなくて教育、これに尽きるんじゃないかな、他に何があるのかな…そんなことをつい考えてしまう観劇後なのでした。



あの熱量で1日2公演は大変そう。
まあ、関係ないか。
超人だから(笑)

どちら様もご無事で。
最後までご無事で。
舞台後もご無事で。


…知りもしない誰かを不快だのなんだの言うのは、この舞台を観た後なのに、果たしてどうなの、とちょっと思ったけど、まあ、それも野暮か。
Love & Peace✌️