前の記事を書きながら思い出したのですが

 

↓この本に、「母親の葬儀で泣けなかった」女性の話が出てきました。

 

 

 

 

その女性は、処方薬(抗うつ剤)がやめられない依存症になっていたのだけど

 

母の死に際しても泣けない自分が嫌になって、抗うつ剤をやめたところ

 

薬を飲んでいた頃よりも多様な感情が味わえるようになったということです。

 

その「多様な感情」の中には「うつ状態」「不安」もあったのだけど

 

人間らしく生きるために、そういう苦しい感情も引き受ける価値があると思ったそうです。

 

 

また、この本の著者、精神科医のアンナ・レンブケ氏自身が

 

抗うつ剤(プロザック)を飲んでいた時期があり、その期間は

 

長年、仲良くできなかった自分の母親と、初めて仲良くできたそうです。

 

でも、抗うつ剤をやめたら、また元のような、ちょっと不安を感じやすい、

 

懐疑論者の自分に戻り、母とうまくいかなくなったけど、

 

そういう自分でなければ成し得なかったこともある、だから

 

もう、母と仲良くするために自分の人格を薬で変えるようなことをしたくないと思い

 

抗うつ剤をやめる選択をしたと。

 

(後の章では、ご自身が心理療法を受けて、母親との関係が改善したと書かれていますが)

 

 

 

(以下引用)

何年にもわたって多くの患者を診てきて、精神科の薬を飲むと苦痛な感情からは一時的に逃れられるが、自分の感じられる感情の幅が狭くなった、特に深い嘆きや畏怖の念といった強力な感情を感じる力がなくなってしまったと言われることがあった。

 

今、世の中全体が「ハッピー」を目指して、ネガティブな感情を抱いたら負け、

 

ネガティブな感情を抱いたら、即、「ポジティブ思考に変換するのが善」とか

 

「いつも感謝を忘れない」とか、「許すことが幸せのカギ」とか

 

うつや不安があったら、即、精神科で薬、みたいな風潮があるけれど、

 

(もちろん、そういう心がまえとか、治療とかは大事だけれど)

 

大きな喪失体験があれば、うつっぽくなることは当たり前だし

 

傷つけられたら、怒りや恨みを抱くのも自然なこと。

 

トラウマにならなければ、それなりの時間を過ごせば、また、元に戻れる。

 

 

喜怒哀楽、全部あるからこそ、よりよい方向に進むことができるし、成長できるし

 

そういう感情を感じることこそが、「生きている実感」ではないかなと

 

前の記事で書いた体験からも、思ったのでした。

 

 

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