「死にたいという人に“生きなさい”というのは傲慢である。

 

相手を否定し、自分の価値観を押し付け、苦しい人生を続けさせることになるから」 

 

と考える人もいるようです。

 

まあ、そう言われれば、そういう考え方もありかもしれません。

 

(個人的には、「苦しい人生は生きるに値しない」とは思わないけれど)

 

ただ、それを言っていいのは「哲学」の領域だと思います。

 

「生き方の選択に正解はない」というのは「哲学」の話です。

 

 

「心理学」は生きるための学問であり、死にたいと思ってしまう原因を、

 

その人を死にたいほど苦しませている心の中のトゲを取り除くための

 

ノウハウを研究してくれているのだと、私は思っています。

 

 

だから、カウンセラーさんなどの心理職の人には、表面の言葉にとらわれないで
 

クライアントの「死にたい」という言葉の裏にある「生きたい心」を感じ取って

 

クライアントを生かすことが仕事と思ってほしい、というのが私の切なる願いです。

 

安易に「哲学」を持ち出して突き放すことなく

 

生きる道を一緒に探してくれる人であってほしいと思います。

 

 

カウンセラーさん自身がどんな哲学、価値観をお持ちでも構わないのですが

 

少なくとも、ご自分の仕事においてそこに逃げないでいただきたいとお願いしたい。

 

 

「死にたいという人に“生きなさい”というのは傲慢」と

 

心理カウンセラーや医師が言っていたら

 

「生きなさい」と説得する以外に力量がないことへの「免責事項」というか、

 

「死にたいという人は来ないでね」というメッセージと判断すべきかもしれません。

 

技術を磨こうとする意欲もなく、本来の職務に「哲学」を持ち込んで

 

逃げているなら、怠慢だなあと思いますが。

 

「“死にたい病”だからしょうがない」という心理カウンセラーもいますが

 

その病を治そうとするのが、あなたの仕事ではないのですか?と問いたいです。

 

 

少なくとも、カウンセラー、医師の門をたたいたということは

 

そのクライアントに「生きたい」という気持ちがあるからです。

 

「生きたい 51% : 死にたい 49%」の間で揺れ動いて

 

かろうじて「生きたい」が勝って持ちこたえているような人の

 

「死にたい」という「思考」や「言葉」の裏にある「心」を受け取って

 

「生きたい」を信じて、生きる力を引きだそうとするのが(「説得」ではなく)

 

心理カウンセラーの本来の仕事だと、私は考えています。


すべての人を癒せるわけではない難しい仕事であることは、重々承知です。

クライアントが改善しないからと言って、

 

すべてをカウンセラーさんの責任にすることはできないでしょう。
 

ですが、力量がないことを、「正解はない」にすり替えるのは詭弁に思えます。

 

 

「苦しくても生きるべきか否か」について

 

論理で二者択一の解を考えるのは哲学の仕事です。

 

その二者択一から離れて、「論理」では扱えない別の視点から

 

そのクライアントの「心にとって」の解を導こうとしてくれるのが

 

心理カウンセラーの仕事だと私は思っています。

 

 

カウンセラーはアドバイザーではない

こんなカウンセラーさんは嫌だ(1)

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