みなさま、こんにちは。Lynnです。
今日は「⑤三木清「語られざる哲学」抜粋ノート」と題してお届けします。

三木清著「語られざる哲学」の概要は
こちら。

角川ソフィア文庫では「人生論ノート 他二篇」の p173~p266に収録されています。

1から12に割り振られたもののうち
今日は10を。

わたしが付箋をはった箇所を
みなさまと分かち合いたいです。

なお、(…)の中略、改行ならび
「・」での箇条書きは
わたくしリンによるものです。


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**10**


p241
【私達の生活において大切なのは、
「何を」経験するかと云うことよりも
「いかに」経験するかと云うことである(…)

外面的にみて同一の事柄も
これを経験する人の心に迫る形においては種々に異なっておるのである。

同一の芸術作品の前に立って観照し評価する二人の人は根本的には同一の芸術作品を観照しまたそれについて評価しておるのではない。】

p241~242
【秀れた魂はいかに瑣細(ささい)に見える事柄にも深い意味を見出す不思議な力をもっておる。】

p243
【いかなる障礙(しょうがい)にも負かされることなくかえってその障礙を利用して自己を高めてゆくことを知っておる秀れた魂は、
それが遭遇する経験が多く、強く、大きくあればあるほどますます磨き出されるに違いない。】


* * *


p246
【私の思想は単に外に拡がりゆく心よりも内に向かって掘り下げてゆく心が私達には特に必要であると云うことを主張せんがために力説されるのである。(…)

秀れた魂はどんな瑣末(さまつ)なことに関係してもその本質を体験することができる。(…)

ダ・ヴィンチやゲーテなど(…)彼等の偉大は
・広さのために深さを失わず、
・拡張のために充実を無くせず、
・普及のために熱中に欠けるようなこと
がなかったのである。】


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今回は「10」のみ。
次回は「11」をお届けします。

おつきあいくださってありがとう。