カーネーションが枯れかけている
花瓶の水が濁っても わたしが水を替えるまで
枯れてしまっても わたしが捨てるまで ここに置いたままにされるのだろう
職場の人
花を飾るが水を替える事もしない
枯れても放置しっぱなし
いつもの事だ
そんなセンスの者が なぜわざわざ花を置くのか?
何かのアピールなのか?
さっぱり理解できない
他人が飾った花を捨てるのは気が引けるものだ
思い出した事がある
小学生の頃の話だ
4年生まで通った学校は
普通に歩けば徒歩で5分ほどの距離だったが
ひとりで寄り道をしながら帰るのが好きだった
川の流れを覗き込んでみたり
草木の茂っている場所で
昆虫を手のひらに乗せてみたり
雨の日はカエルやカタツムリを家に連れ帰ったりした
近所の大きな陸上競技場が人気の遊び場だったが 不審者が頻繁に出没するので 子どもだけでは近づかないようにと父母からいつも忠告されていたから それは守っていた
わたしが子どもだった時代も
危険な事はそこら中にあった
人懐っこくもなく 常に機嫌の良い子どもでもなかった
「わたしに構わないでくれよ 子どもだと思って甘く見ないでくれよビーム」を常に発信しながら行動していた
それでもたまに
空気の読めない(又は純粋な)大人に
不必要に話しかけられる事もあった
そんな時は
感じの悪い子どもだと思われない程度に 深入りはされないように 変な気を起こして豹変された場合はすぐに逃げられるようにと 常に身構えていたように思う
「ヤバイ大人」なのか?
単に「子どもを見たら構わずにはいられない大人」なのか?の見分けはできた
畑一面がレンゲの花でピンク色に染まる季節があった
水を張っていない時期の「田んぼ」だ
立ち止まってしばらく見ていたら
農作業をしていた大人に声をかけられた
祖母と同じくらいのお年頃の女性
「キレイでしょう!お花を摘んで持って帰りなさい!」
そう言われたわたしは 困ったような顔をしてモジモジしていたはずだ
突然知らない大人に話しかけられて
戸惑ってしまったし
レンゲの群生の美しさに目を奪われて見惚れてはいたけれど
別に欲しかった訳ではない
その人は(シャイな小学生が遠慮している)と勘違ったのだろう
「ちょっと待っててね。」と言って
レンゲを何本か摘み取り 器用な手つきでネックレスのような輪っかを編み始めた
その人の手の中で着々と出来上がって行く輪っかを そばでおとなしくずっと見ていた
出来上がった輪っかを両手でうやうやしく受け取ると その人は満足気な笑顔を見せた
お礼と別れの挨拶を言って 花が潰れないように大切に抱えて家に帰った
「気を使わせてしまった。しばらくはこの道は通らないようにしよう。」
と心に誓った
何でもない思い出だが 今となってはあの女性の気持ちがわかるような気がする
「カーネーション、もうくたびれちゃったね。でもレンゲっぽくてかわいいから、あと1日だけこのままにしておくわ。」と若い同僚に言ったら
「レンゲ?ラーメンを食べるスプーンですか?」
と言われてしまった
他の日本人同僚達もレンゲの花を知らないし 見た事がないと言う
彼らは都会出身だからかもしれない
と思ったが 九州出身の若い同僚も
「チャーハンを食べるスプーンですか?」と言った
今の時代 もうレンゲ畑はないのだろうか?
現代では農法も変わってしまい
田んぼに水を張る前にレンゲを植えて耕す事をしなくなったのかもしれない
知らんけど
香港出身の知人曰く レンゲ(スプーンの方)はスープを飲む為のもので チャーハンを食べる時には使わないらしい
わたしも使わない
そもそも家にレンゲがないし
チャーハンを食べる事も無い
レンゲの咲いていた季節はいつ頃だったかな?
春先から夏が来る前だったように思うし 最後に見たのはいつだったか?すら記憶にない