自分に置き換えること | lyd

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他人の気持ちなど

簡単に理解できない。

自分に置き換えて考える

なんて、意味がない。


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これ、

ちょっと前に紹介した

自分の思い出の歌、

「永遠のパズル」より。


確かになー、って

思うことも多い。


でも、

言葉の捉え方の違い、

ってことなんやろけど、


そうなのかな、って

感じる部分もあれば、

そうじゃないよな、って

感じる部分もある。


確かに、自分に

置き換えて考えても

完全に理解すること

なんか、できっこない。

その理由は簡単で

自分じゃない、から。


ぜんぶマルッとお見通し、

みたいな、わかったような

こと言われても、絶対に

奥の奥までは分からんし、

で、仮に、

その奥まで分かってあげる

っていうことが重要だとして、

そのための方法のひとつが

自分に置き換えること、って

ことに直結はしないと思うし、

そもそも置き換えたところで

奥の奥は、自分とは違う。


もし、そうなのであれば、

自分に置き換えて考える

っていうことは、ただの

自己満足なのかもしれん。


でも、だからといって、

意味がないのか、って

いうと、それは、ちょっと

違うのかな、と思う。


すべてを理解することは

できないかもしれんけど、

相手の立場に立ったり、

相手じゃない自分に

置き換えるからこそ、

相手が想像もつかない

何かの糸口というのは

見つかるかもしれないし、

それに、

見つかったものが

欠片のように小さくても、

抱えきれんほど大きくても、

取捨選択は相手にある。


だから、必要であれば、

必要とすればいいし、

いらないのであれば、

放り投げたらいいだけ。


ようするに、

できることはぜんぶやって、

考えて動けば、何かはある。


自分に置き換えることは

そういう感じの意味では、

意味なくもないのかな、と。


んー。


また、なんか

よくわからんブログに

なったけれども、


自分に置き換えることは

理解することではなくって

ヒントを作る一つの手段、

ってことなんやろうと思う。


…。


もっと別のことを

書こうと思ってたのに、

こんな感じになってもた。

なんで、

こんな話になったんやろ。


ま、自分の頭の中の

整理、ってことやな。