どんなことにも

いいところとわるいところがある。

 

いいところは

状況や量や使い方がかわれば

わるいところにもなる。

 

わるいところも

環境やさじ加減や解釈がかわれば

いいところにもなる。

 

だからできるだけ、

そう、できるだけ

決めつけないようにしたい。

 

かといって優柔不断にもなりたくないから

その場その場で

評価したり判断したりするのだけれど

そんな自分の判断を
まるごと信じ込んでしまわないようにしたい。

もちろん他人の評価についても。

 

いつも流動的であること。

さりとて風見鶏ではないこと。

 

いつも柔軟であること。

さりとて軽薄ではないこと。

 

どうやれば両立するのか。

 

考え続けることしかないだろうと思うのだけれど

それを思うとしんどくなるので

あんまり考えないことにする。

 

本末転倒。

 

そうすると次の課題は

どうすれば考え続けられるか

だろうかね。

 

習慣になるまで

力づくで続ける必要もあるだろうけれど

それ以外の補助手段もあるだろう。

できれば苦行にしたくないものだ。

 

がんばるというのは

もともとよくない意味の言葉だったと

どこかで読んだ。

 

がんばる。

頑張る。

我を張る。それも頑なに。

それがいつから

肯定的に使われるようになったのか。

東京オリンピックの

「前畑ガンバレ!」あたりだろうか。

 

こだわりという言葉も

執着そのものなわけだから

もちろんよくない意味を持っている。

 

執着を捨てろと説く仏教で

仏師や宮大工たちが

こだわりを持って作品をつくるのは

どういうことなのか。

 

でも、ほとんどのこだわりは

自我にべったりと張り付いている。

はがそうとすればするほど

強く張り付く。

 

だったらもう

どこから自分で

どこから外なのか

わからなくなるぐらい

徹底して執着しつくせば

ウチもソトもなくなる。

 

そういうことなのかもしれない。

 

 

実家での年末年始はつかれた。

日頃気ままに暮らしているから余計につかれた。

何もせずにゴロゴロしているだけなのにつかれた。

 

親やら弟夫婦やら

顔を見るだけでつかれるのは

ちょっとあまりにも

日々サボりすぎな証拠じゃないかと

責める声が内側からするので

つかれ度、うんざり度は倍々増し。

 

役立たずの自分を認めるか

少しでも役立てるように変わるか。

その中間でもやもやする正月。

 

これは思春期?

ひょっとして一周してもどってきた思春期?

 

すっきりと道が拓けることなんて

ないことだけは知っているから

背負ったごたごたから

目をそらさないことが必要なのも知ってるから

少しは変化しているんだと

自分に言い聞かせてみる。

 

目的は

どこかに着地することではなく

あれこれのバランスを

取れるようになること

だな。

 

よくある信条とかモットーとか

そういうたぐいのものは

しょせん言葉だけのもの、

プロフィールや何やらを書く時の飾りみたいなもの

もしくは周囲に示す教育的格言

だと思っていた。

 

でもそうでもないらしいと

思い始めている。

 

100%の意志で始められることなんてないし

100%の判断でやめられることもない。

 

何かを決めるときに

自分なりのルールを決めておく方が

迷ったり後悔したりせずに済む。

そういうことなのかなあ、と。

 

以前に務めていた会社で

新しい仕事に取り組む時によく

上司から「本当にやる気があるのか」と訊かれた。

やる気があるならやれ、ないならやめておけということだ。

 

私はそのたびに迷った。

やる気はあるけれど、それが本当かどうかなんてわからない。

どう返事をしていいのかわからない。

 

迷った末に「あります」と応えていたけれど

いま思えば上司は

途中で投げ出さないかと確認したかったのだろう。

 

でもなあ、無意味だよな。そんな問いは。

何だってやってみなければわからない。

どんなに最初やる気があっても

嫌になることはたくさんある。

その逆もある。

 

最初の決意がずっと続くなら

転職も離婚もないだろう。

 

やる気は50%あれば上等。

やってみて、やりながら考えた方がいい。

それぐらいの気分の方が柔軟に対応できる。

 

上司は「絶対にこうあるべし」と道を引きたがるひとだった。

 

もちろんその決意は尊重するけれど

それだけじゃなあ、ダメだよなあ。

 

軸足は定めるべきだけど

もうひとつの足は自在に動かせるように

回転できるようにしておかないと。

にっちもさっちもいかなくなるし。

 

ああ、あの上司はいまどうしているかしら。

 

カレンダーが普及するまでは

冬至とか夏至とか春分、秋分とかが

一年の区切りだったと思うのだけれど

そっちの方がなんだか理にかなっているような気がするな。

 

今の新年は便宜上の区切り。

もういちど自然の動きとリンクさせてもいいんじゃないか。

 

でもそうすると新年はどこに置くべきか。

「一陽来復」で冬至かな。

でも季節的にはこれから寒くなるわけだから

春分とかの方が賑々しい感じかな。

 

友人と旅行すると

いつも自分の役立たずぶりを痛感する。

 

最適な交通機関を探したり

おいしくて安い食べ物屋を発見したり

そういう実用的なことにはほとんど役に立たない。

友人の後をついていきながら

枝葉末節のどうでもいいことが目にとまるので

ついつい寄り道をしてしまう。

3回ぐらいやると怒られる。

 

なぜこんなに役立たずなのか

落ち込むことも多いけれど

でもまあこれも、仕方ないよねと

最近は思っている。

私の興味はどうでもいいところに向くようなので。

 

実用的な人間になろうと考えたこともあるけれど

やっぱり無理みたい。

「なんちゃって」で振りをすることしかできない。

また振りは振りだから

相手に「出来る人」と誤解されるとまたややこしい。

 

私は役立たずだなあ。

それを無視せず、目をそらさず

しかも卑屈にならず。

 

これからはしっかりと

役立たず方面で活躍したいと思う。