以前、とある大学で哲学の先生に聞いた話。
高校生向けのコメントをとりに行ったのだけれど
その先生は「なぜ」を繰り返し突き詰めていくことを
勧めてくれた。
受験生たちは憂鬱になることもあるだろう。
くじけることも、落ち込むこともあるだろう。
そんな時には「○○○のせいで」とか
「○○○がなければ」とか
あるいは「あの人に比べて自分はどうしてこんなに○○なんだろう」とか
さまざまなネガティブ意識が湧いてくる。
その意識を放っておかず
「どうして自分はそう思うのか」を
考えてみようというものだ。
さらにまた
そこで出てきた思いに対して
「どうしてそう思ったのか」を考える。
どんどん繰り返していくと
自分でも気が付かなかった自分が
見えてくるという話だった。
私はこの仕事に取り掛かりたくない。
なぜ取り掛かりたくないのか。
面倒だからだ。
なぜ面倒なのか。
やるべきことが多くて
どこから手を付けていいかわからないからだ。
なぜ手をつけるポイントがわからないのか。
やるべき内容を把握していないからだ。
なぜ把握していないのか。
見ようとしていないからだw。
なぜ見ようとしないのか。
見るのがこわいからだ。
なぜこわいのか。
……うん。
どうしてこわいんだろうね。
何か恐ろしいものが
出てきそうな気がするからだろうか。
向き合わざるを得なくなるからだろうか。
それとも……
……
とやっているうちに
問題は段々と自分を離れ
相対化されていく気がする。
そこからもっと錘をおろしていくのが
先生のやっている仕事なんだろう。
しかし自分としては
しょっちゅうこれをやっていると
何もできなくなってしまうので
ごくごくたまにやってみることにする。