聴力が弱いので

細部を聞き取れなくても

話の流れから類推するクセが身につきつつある。

 

でも、肝心要なところを

聞き取れない、

あるいは聞き間違えることが多い。

 

どうしてだろうか、

緊張しすぎるからだろうか、

と思っていたのだけれど

 

昨日、人と話をしていて

気がついた。

 

そうか、固有名詞だ。

 

人の名前、場所、施設の名前など

固有名詞は類推することができない。

しかもたいてい

とても重要だ。

 

ああそうか。

だから肝心要で聞き取れなくて

大汗をかくんだ。

 

聞き返せる場合はいいのだけれど

そうもいかない時もある。

これは対処が難しい。

でもまあ、

理由を自覚できただけで

少し心が軽くなる。

 

どんな長所もどんな短所もどんな不具合も

ひっくるめての自分と

これからも仲良くつきあっていくために。

 

こんなことを言うと

えらい顰蹙ものなんだけれども、

名前が交じる現象のひとつとして

私の頭のなかでは

鈴木大拙と池田大作が

どういうわけか混じってしまう。

 

身近にはゴッホとゴーギャンとシャガールが

まぜこぜになっている友人がいる。

 

その現場に居合わせた時は

なんでそんなもんが混ざるのかと

つくづく呆れてしまったのだけれど

私も同じだな。

 

興味の方向とか

それまでの体験とか

さまざまなもので

区別のつく事柄は変わる。

 

ベッコウガガンボと

ホリカワクシヒゲガガンボを区別することが

とても大切な人もいるだろうし

インドとインドネシアをごっちゃにして

まるで気にしない人もいるだろう。

 

カトリックかプロテスタントか

私からすればどちらも同じキリスト教だけれど

それで凄まじい戦争が起きたりもするわけで。

 

私が気にするとすれば

無意識のうちにでも

気にしているのは

どんな区別だろう。

 
あなたの運勢は・・・
 
 
今年はまだおみくじを引いていなかった。
そろそろ1月も終わるので、ここでやってみた。
何事も丁寧に。
うん。そうだよね。なるべくそうしよう。
 
 

以前、とある大学で哲学の先生に聞いた話。

高校生向けのコメントをとりに行ったのだけれど

その先生は「なぜ」を繰り返し突き詰めていくことを

勧めてくれた。

 

受験生たちは憂鬱になることもあるだろう。

くじけることも、落ち込むこともあるだろう。

 

そんな時には「○○○のせいで」とか

「○○○がなければ」とか

あるいは「あの人に比べて自分はどうしてこんなに○○なんだろう」とか

さまざまなネガティブ意識が湧いてくる。

 

その意識を放っておかず

「どうして自分はそう思うのか」を

考えてみようというものだ。

 

さらにまた

そこで出てきた思いに対して

「どうしてそう思ったのか」を考える。

 

どんどん繰り返していくと

自分でも気が付かなかった自分が

見えてくるという話だった。

 

私はこの仕事に取り掛かりたくない。

なぜ取り掛かりたくないのか。

面倒だからだ。

 

なぜ面倒なのか。

やるべきことが多くて

どこから手を付けていいかわからないからだ。

 

なぜ手をつけるポイントがわからないのか。

やるべき内容を把握していないからだ。

 

なぜ把握していないのか。

見ようとしていないからだw。

 

なぜ見ようとしないのか。

見るのがこわいからだ。

 

なぜこわいのか。

 

……うん。

どうしてこわいんだろうね。

 

何か恐ろしいものが

出てきそうな気がするからだろうか。

向き合わざるを得なくなるからだろうか。

それとも……

……

 

とやっているうちに

問題は段々と自分を離れ

相対化されていく気がする。

 

そこからもっと錘をおろしていくのが

先生のやっている仕事なんだろう。

 

しかし自分としては

しょっちゅうこれをやっていると

何もできなくなってしまうので

ごくごくたまにやってみることにする。

 

 

今日やることを決めて

それをやりきれば

幸せな心持ちで布団に入れるだろう。

 

先のことをあまり思い煩わないで

ただひたすらに

それを繰り返していけば

幸せな心持ちで

この世からおさらばできるだろうか。

 

ただそれだけ。

それが得てして難しい。

 

やろうと思ったことを

やりきれないで終わるのはともかく、

まず「やろう」と思わずに

なんとなくやっていることの方が多い。

 

締め切りやら催促やら不安感やら

そういうものだけをエンジンにして

しかたなく動いている場合が多い。

 

だから締切がなくなれば止まる。

当面、文句を言われる可能性がなくなれば止まる。

 

そもそも

エンジンの置きどころを間違えているんだろうな。

 

やりたいからやる。

これは現実には難しい。

私の場合、ほぼ不可能と言っていい。

たまにそういうこともあるけれど

たいがい強制力が働かないと動き始めない。

 

やる気が出るのはやり始めてから。

そういうコメントをどこかで読んだけれど

私もそのクチだ。

 

で、やり始めてからの修正が必要になる。

動き始めてから

あらためて目標をセットし直す必要がある。

 

何もせずにいると

やり終えることが目標になってしまうけれど

別の目当てをプラスできれば

ちょっとは建設的になるような気がする。

 

そこのワンステップを加えると

今日一日の過ごし方が

少し違ってくるのではないだろうか。

 

いや。ぐだぐだ書いているけれど

要は締め切りに間に合わせるとか、

相手の了承を得るとか、

怒られるのを回避するとか、

そういうこと以外の目標をひとつ見つけて

自分のための楽しみとして

設定トしておこうということだ。

 

そういうクセをつけたいということだ。

つけられたらいいな。