年を取ればたしかに経験は増える。

でもそれがいい方向にむくとは限らない。

 

ころんだからこそ

強くなることもあるだろうけれど

それ以上に

一度転ぶと臆病になることの方が

多いんじゃないだろうか。

 

さまざまな経験が

寛容や思慮深さや偉大な人格を

生むことはあるだろうけれど

それ以上に

姑息さ、保身、自己中心、ことなかれを

生むことの方が

多いんじゃないだろうか。

 

年を取って素敵になる人は

自分の意志でその道を選んだ人だろう。

 

老害になるか賢者になるか。

自分は毎日いつもその分岐点にいて

毎日選ぶ小さい選択が、人生の方向を決めていく。

 

私はもともと方向音痴で

細かな曲がり角にとらわれていると

すぐ道に迷ってしまう。

それどころかいつも自分の立ち位置がわからない。

 

目先の細かい地図は気にせずに

太陽がどっちに出ているか

だけを意識するようにできないかな。

 

いや、

太陽じゃなく

星でも月でもいいんだけど

大きい方向がわかればいいわけで

目先を気にせず

大きな行きたい方向へ歩けるように

自分を制御していけないかな。

 

そしてもし

太陽(か星か月か)が見えないなら

邪魔な目隠しを取り払わなきゃいけない。

見える場所までいかなきゃいけない。

 

会社をやめて

障害物はずいぶんなくなった。

いま私の視線をさえぎるのは

たぶん私の臆病さと怠慢さ

だな。

 

 

 

英国の言葉だから、英語なんだ!

と、気がついたのは中学生のころだったか。

 

ばかな話だけれど

英語は英語、最初から単語として刷り込まれているので

あえて意味を考えることもなかったわけで。

また

「どうしてアメリカ語、イギリス語じゃないのか」

と疑問に思うこともなかった。

 

もっと賢ければ

どうしてEngland もしくはEnglishが

イギリスになるんだろう

と不思議に思っただろうけれど

実際ネットには

そういう疑問と回答がたくさんあるけれど

自分は疑問すら抱かなかった。

 

考えてみればわかることが

思いつきもしないからわからない。

 

そういうことってたくさんある。

 

 

藤枝静男の田紳有楽を

再読したいなあと思ったのだけれど
茶碗が金魚と恋をする話……ぐらいのイメージで
タイトルを思い出せなくて

作者名すら思い出せなくて

ぼんやり記憶に残っている

茶碗とか金魚のP子とか悉皆成仏とかで検索しても
寺やらペットやらのサイトばかり出てきて見つからず……

見つからないはずだよ、金魚はC子だったよ。


極夜行(角幡唯介)を読もうと思っているんだけれど
あれ、なんでこの本に行き着いたんだっけ。

何かの連想からたどりついたんだと思う。

 

青空文庫で牧野信一のゼーロンを読む。

読みながらまた、

どうしてこれを読んでいるんだっけと思い

たぶんこれも何かからの

連想つながりでたどりついた場所。

 

こんな感じで

脈絡なく

ぼんやり漂っているときが

一番楽しいと思う。

断片が気になる。無意味とわかっていて気になる。
だからなのかもしれないけれど、自分の中には断片が多い。
というか、ほとんどの情報が断片だ。

方向音痴で空間を把握できない。
言葉や概念の世界でも、

断片的なイメージばかりに惹かれてしまい、

うろうろ歩き回りはしても全体の構造や道筋がわからない。

たとえば、EテレでREBORNという番組を見た。
交通事故で高次脳機能障害を患った男性のドキュメント。

語りは窪塚洋介くん。

 

男性はオーストラリア、アボリジニの伝統楽器である

ディジュリドゥの演奏家だった。

 

事故後、記憶を失い人生を失ったが、

突如として生まれたのは絵を描く欲求だったという。
彼は後天性サヴァン症候群だろうと診断され、

アメリカで同じ境遇の人々を訪ね歩く。

   どうでもいいけど「後天性サヴァン症候群」の予測検索に

   「なりたい」が出て来るのはなんというか、モニョモニョする。

で、この番組を見ていて、

「ディジュリドゥ」という言葉の響きが気になった。

 

どうすれば覚えやすいかな

ディ+ジュリ+ドゥかな。

そんなことをぼんやり考えていて

無関係なイメージが浮上した。

 

小さい女の子が誰かに向かって

「じゅりちゃんが……」どうのこうのと話している場面。

 

何かのマンガの1シーンだと思うけれど、

ええとこれはなんだろう。
すっかりそっちに気を取られてしまって、

番組内容が頭に入らなくなる。

無意味であることは重々承知。

出典がわかったところで、どうでもいいことに違いはない。
でもここから離れられない。

いまはまだいいけれど、

同じような現象が仕事中にも起こるのでとても困る。

無理矢理に排除することもできるかもしれないけれど、

どうしてそういう枝葉末節が強い力を持ってしまうのか。

たぶんエネルギー源は謎がとけた時の気持ちよさ。

何の役にも立たないことだけれど、自分がうれしがる。

まあゲームに熱中してしまうことにも似ているかもしれないけれど、

やっぱり虚しいなあとも。

じゅりちゃんの謎は、番組を見終わってから2時間ぐらいで判明した。

石黒正数のマンガの一場面だった。

「もし余命1年なら何をするかを考えて

 それを今年の目標にする」

というツイートを見た。

 

なるほどな。

 

明日死んでも悔いのないように

なんて説教はときどき耳にするけど

いかんせんそこまでの覚悟はもちにくい。

誰だって明日どうなるかはわからない

というのは事実だけれど、リアリティを感じにくい。

 

1年ぐらいならあるかもなあと思えることと

時間の長さをイメージしやすいことが

説得力になるのかもなあ。

これが1カ月だと何かをやるには短すぎ

10年だとほんわりしすぎて

モチベーションになりにくい気がするし。

 

さて1年。

1年なら何をするか。

 

まず金を稼ぐこと、貯めることの

重要度はガクンと落ちるな。

金のための仕事はしたくないよな。

嫌な人、苦手な人とは

なるべく会いたくないよな。

 

自分が楽しいと思えることで

自分が大切だと思える人たちを

喜ばせることがしたいな。

 

まず自分。

それから家族や友人、仕事仲間。

 

私の人間関係はとても狭いので

ミニマムな目標で行けそうだ。

 

一番むずかしいのは、

何をしたら自分が喜ぶか、なんだけど。