名前をある程度知られていても

あまり売れていない作家とか漫画家は

たぶん、たくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんいる

と思うのだけれど

いったいどうやって食べているのだろう。

 

ほとんど名前も知られていない作家や漫画家は

諦めて他の道へ進むことや

別の副業をきちんと身につけることもできるだろうけれど

なまじ中途半端に売れてしまうと

それもまた難しくなりそうな気がする。

 

あまり売れていない音楽家……は、

たぶん音楽教室の講師をやるか

もしくは運が良ければ

編曲やら何やら音関連の仕事につけるのかもしれない。

 

どうやって生活の糧を得ているのか

不思議な人は身の回りにもいる。

 

働いていなくても

もちろん年金暮らしの人もいるし

生活保護の人もいる。

親から譲り受けた不動産収入を得られる

幸運な人たちもいる。

 

野生環境で生きている動物は

食べ物さがしと子孫づくりが仕事。

というかほとんどそれしかなさそうだけれど

人間の場合は

食べ物さがしが仕事に当たる部分だろうから

それをやらなくてい生物というのは

どういう存在と思えばいいんだろうか。

 

いい場所に生まれさえすれば

じっとしていてもふってくる収入。

じっとしても得られるごはん。

そういう環境にある人は

自分とは違うメンタリティになるんだろうな。

 

金銭面や物質面で焦ったり、

不安になったりすることは

少ないだろう。

 

その代償で他の不安が増大するんだろうか。

そうでなければメンタルが

ひょっとすると植物化していくのだろうか。

 

樹齢100年以上のすてきな巨木になれたら

それはそれで素晴らしいことだ。

そういう過ごし方のできるお金持ちが

本当の財閥なんだろうなとも思う。

 

 

 

 

 

 

白いシャツとジーンズ。

アクセサリーも何もなし。

でも足元はヒール。

 

スーパーでそんな女性をみかけて

ああ、かっこいいなあと思い

しばらく物陰から見つめてしまった。

 

白いシャツと黒いスリムパンツ。

アクセサリーも何もなし。

足はたぶんフラット。

赤いトランクをガラゴロ押しながら

横断歩道をわたっていた女性。

 

ああ、かっこいいなあと思い。

つい立ち止まってしまった。

 

白いシャツとパンツだけで目を引くかっこよさ。

そのいさぎよさ。

真似出来ないからなおさらにすてき。

 

顔の造作もさることながら

全身のバランスがきれいな人は

ほんとうにうらやましい。

 

まあ、でも、

自分の手には入らないからこそ

見かけるたびに感動して
いつまでもあこがれていられる

というメリットはある。

 

そしてそのメリットは

意外と大きい。

新幹線もスペースマウンテンも

たくさんの人を乗せて

定められたコースを、

プログラムされた加減速で走る。

 

でも新幹線は

速く目的地につくほど商品価値が高くなる。

乗車時間が短いほど歓迎される。

スペースマウンテンは

通る過程に価値があるから

もっと長く乗っていたい!という人も多いだろう。

 

いや、当たり前のことなんだろうけれど。

 

鉄ちゃんにとっては

長い時間をかけてのろのろ走る新幹線の方が

ずっと価値があるという場合もあるんだろうな。

 

ターゲットが変われば

目的が変わる。

目的が変われば

価値の置き方が変わる。

 

着心地の悪い服や

使いにくい家具や

読みにくい本にも

隠された別の価値があるのかもしれない

なんてことを思う。

 

人間の場合はなおさらだ。

 

周囲の価値観に自分の形を合わせようとして

努力することも大事だけれど

自分に合った周囲を選ぶことも

やっぱり大事だよな。

 

スペースマウンテンが東海道を走っていたら

やっぱり困るだろうと思うし

新幹線が遊園地にいても

実力発揮できないだろうと思うから。

自分がいま外側だと認識してる世界。

 

自分の家の中。

住んでいる集合住宅。

その外にある交差点や公園や店舗。

すれ違う知らない人や知っている人たち。

日本も世界も宇宙もあれこれ含めて

みんな自分の外にある。

 

のだけれど。

 

考えてみれば

どんなに遠くの「外」も

自分の目や耳や鼻や皮膚や舌、そして脳など

とにかく自分の中に一度とりこまなければ認識できない。

 

てか

自分のなかで(勝手に)処理したものを

外界として認識しているに過ぎない。

 

処理はほとんどが無意識に行われる。

視覚にも聴覚にも

ものすごくバイアスがかかっているし

それを言語化する過程は言わずもがな。

 

つまり

私が「外」だと思っている諸々の事象は

すべて「内」なのではないだろうか。

 

逆に

自分が見ることも聞くこともできない

内蔵やら神経系やら何やらこそが

未知の「外」ではないのだろうか。

 

いや

だからといって

どうということもないのですが。

先日、久しぶりに

かつて仕事を一緒にした知人に合った。

 

とうにリタイヤしていて一人暮らし。

年金生活の身の上はなんだか羨ましい。

 

料理が得意な男性で

日々買い物に行き、何をつくるか決めて、

料理して食べる。

 

それが苦にならない人は強いなと思う。

 

ブックオフで好きな小説家の本を探し

食事のあとでゆっくり読む。

 

歩くのが好きな人で

写真で収入を得ていた人だから

いまも日々カメラを持って散歩して

とりだめた写真の中から秀作を選んで

小さな展覧会をひらく。

 

たまに飲み屋で古い友人と話す。

 

そういう日々を送ることができるのは

けっこう稀かもしれない。

ある程度の年金をもらえる

いまだから、ということもあるかもしれない。

家族の面倒をみなくていい境遇に

あるからかもしれない。

 

それでも

会社を離れて

家族をなくして一人になって

自力で生活を楽しめる人は

やっぱり強いなと思うのだ。