人からいい評価をもらいたいと思うのは

ほめられると自分が嬉しいから。

 

人の幸福を願うのは

それが自分の幸福につながるから。

 

人から評価されたいあまりに

自分の感情を押し殺すのは

本末転倒。

 

人からほめられること

人に喜んでもらうことと

自分が嬉しいことは

厳密にはイコールではない。

 

そこんところ

踏み間違えると

いろいろと危ない気がする。

 

これをやりきれば

自分が変われる。

なんて思っているようなことは

走り続けるための呪文のようなもので

たいがいあまり効果がないのではないか。

 

本当に自分が変わる瞬間は

たぶん意図の範疇を超えている。

やりたくて

やっているうちに

いつのまにか訪れていた

というようなものだろうと思う。

 

努力を免罪符にしてはいけない。

努力を幸福への手形にしてはいけない。

 

ゴールするための

途中の苦しさはもちろんあるけれど

そのゴールが本当にゴールなのか

そこにたどりつきたいのか

自問自答することは必要だろうな。

 

ただししょっちゅうやりすぎると

もうそれだけで疲弊してしまって

どこにも行けなくなるから

あくまで時々。

 

第一、どんなことも

どんなに考えても

シナリオ通りに行くことなんて

ほとんどない。

 

最良と思った選択が

最悪に転じることだってある。

その逆だってもちろんある。

 

 

 

いま巨大地震がきたらどうしよう。

ふいにそんなことを思い

恐怖にかられることがある。

 

1分後には

考えても仕方がないと

忘れてしまうのだけれど。

 

ただ怖がっても仕方がない。

それは正しい。

 

でもだからといって

何も準備しなくていい

ということではないわけで

 

その恐怖心をちゃんとしまっておいて

週末にでも時間をつくって

できる準備をしなさいよ、

と自分に向かって説教してみる。

昨夜はとりあえずベランダの

鉢植え類やスリッパを退避させて寝た。

 

今朝は青空。

何かが吹き飛ばされたような

様子もない。

 

10月下旬の台風一過は

珍しいなと思うけれど

この先の進路でも

どうか被害がでませんように。

 

 

 

甘いものが好きだ。

 

酒とタバコはやめたのだけれど

甘いものはまだやめられない。

何度かトライしたけれど

ことごとく失敗している。

 

ちょっと口寂しいとき

小さなスイーツを食べて満足する

ということはまずない。

 

そういう言い訳を自分に与えておいて

ちょっと口にすると、もうだめだ。

 

低カロリーのデザート。

こぶりなケーキ。

チョコレートのひとかけら。

 

そういう物体は

自分にとってはスターターにしかならない。

 

なるべく家の中に

おやつを置かないようにしているのだけれど

火が付いてしまうと

近くのコンビニに出かけてしまう。

もしくは小麦粉や卵を出して

作り始めてしまう。

 

自戒のために書いておく。

 

少量で満足のお菓子なんかない。

あれは全部スターターなんだからねっ!

 

 

仕事の打合せ中にガレージの話が出た。

 

車が好きな人なら

そりゃ屋根付きのガレージがほしいだろう

とは思うのだけれど

 

「リビング直通がいい」

「窓越しに車が見えるようにしたい」

「いつも車を眺めていたい」

「ガレージ内にリビングがほしい」

うんぬんになると

さっぱりわからない。

 

車を眺めているだけで楽しいらしいのだけれど

いったいどこをどう鑑賞するのだろう。

 

自転車も同じらしくて

本当は部屋のなかに持ち込みたいのだそうだ。

 

「眺めていたい」

車がそう言える対象になるのがわからない。

でも考えてみれば、

自分にはそういうモノ自体が思い当たらない。

 

この間みた長沢芦雪の絵なら

ずっと眺めていられそうだけど

 

そういう対象があること自体

とても幸せな気がする。