年末年始にかけて、夢中になって読んだ本。
どの章もとても面白く、3行くらいを返し縫いするように、味わって読みました。
成り立ちが内田樹氏が大学での最後の講義を起こして加筆されたものなので
全編話し言葉なのでわかりやすく、語りかけられているようにひきつけられたまま読了。
感銘を受けたところだらけなんだけれども
私が一番感銘を受けたのは
文庫版のためのあとがき(p309)にあるように
「今、目の前で言葉が生成している」ことの価値を
実感した、ということだ。
すでに仕込んだものをさらさらと出力しているのではなく、
いま、ここで言葉が生まれているという「事件」の唯一無二の「立ち会い人」として学生たちに同席してもらっている。
だから、学生たちも眠ることなく授業に引きつけられている。
ここでどんな話に展開していくのか、学生たちはもちろん
語る内田先生本人もわからない、このライブ感。
私は一昨年から、少しづつ講演をさせてもらっているけれど
そこで大事にしたいと思っていたことが
明確に表現されていた、文章でも、本全体でも。
さらに、話す言葉だけでなく
書かれるもの、に対しても
起承転結を組み立てて、順序良く出力するのでなく
書きながら生まれ出ずるもの。
出来上がるものの全体像は見えていないけれど、
書き終えた自分自身に既に会ったことがあるという感覚。
p210から引用・・・・
このヴィジョンがもたらすのは、こういう言い方をしてよければ、「受動的な全能感」なんです。自分があれもこれも一人で全部できるということではなくて、誰かに手をひっぱられて、空中高く引き上げられて、そこから幽体離脱したようなしかたで、自分の仕事を上から見下ろしている。そこに最後まで書き終えて深い満足感を味わっている自分が見える。この「受動的な全能感」には物書く人は烈しくアディクトする。
・・・引用ここまで
この感覚も、
私の書いている量も内容も甚だしく内田先生とはかけ離れているけれど
わかる。
本当にはまだ体験していないかもしれないけど
同じ「質」のものに私はアディクトしながら
頼まれもしないブログを書き
頼まれてもいないライフワークをせっせと行っている。
私は書き終えた自分、のように
人生を生き終えた自分の満足感が見えるのだ。
人生を生き終えた自分の満足感が見えるのだ。
迷うときにはその自分につながればよい。
「何か」にひっぱられて空中高く引き上げられて
人生の全体像を見下ろす。
全体像をみてるときには細部はわからない。
グーグルマップを広げたり狭めたりしてるときみたい。
細部の作業に降りてくると、全体像は、見えなくなることもあるが
うまくすると細部に没頭しながら全体像が見える。
音楽をやっていた時に出会った一定数のミュージシャンはそこにアディクトしていた。
細部どころか人間関係や生活の些事がほんとうにどうでもよくなってしまった人たちもたくさんいるように思う。
アートとはそのように作られてきたのだろう。
かといって暮らしや人間関係を一つのものに捧げずに、すべてにおいての全体像を慈しむような全能感もあるということも私は知っている。
この本は、そのミラクルの仕組みを
「思い出させる」という形で見せてくれているように、私は感じた。
2016年末にこの本に出会い
2017年から、ますます自覚的に
生きたことばを書き、話し、
生きたしごとを紡いでいこうと思う。
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