先日、新宿の某ファミリーレストランへ、朝9時過ぎに立ち寄った時のこと。

朝の都心のファミレスって、意外と人がいるものだなぁ。。。

ランチタイムと違って、子どもを含む家族連れではなく、カップルや友人2人連れ、単身者が目立つ。広い店内には、まばらながらもまんべんなく人がいる。

私は2時間ほど潰すつもりで、窓際の2人席に座った。

正方形のテーブルをはさんで2人ずつ向かい合わせに座るボックス席が4~5個、窓際に作られていて、その真ん中へんを選ぶ。隣のボックスには、新聞を広げ白ワインをミニボトルで飲み、フライドポテトをつまむ、推定年齢67歳の女性が座っていた。

自分が席についてしまうと、仕切りがあるので、女性の様子はよくわからない。

ドリンクバーに行くためにまた横を通過すると、女性は新聞をたたみ、席を立つところだった。

ワインを飲み切ったのか、残っていたのかは不明。不機嫌さもご機嫌さも覗えない無表情で、女性は去っていった。立ち上がると身長145センチくらい、白髪に黒い筋が時々混じるレイヤーボブ、もうこの後外ですれ違ってもわからないくらい特徴のない外見だ。服装も覚えていない。

私はドリンクバーからアメリカンコーヒーをとって自分の席に戻り、持参した本を開いたけれどちっとも内容が頭に入ってこない。

あの女性は、ここへよく来るのだろうか。朝のファミレスでフライドポテトと白ワインを飲むのが日課なのだろうか。時にはポテトがソーセージになったりするのだろうか。この近所に住んでいるのだろうか。

朝に飲む白ワインは、何か夜を徹した仕事が一段落したお祝い・一区切りのしるしなのか。この後、休息の時間になるのだろうか。

それとも朝からむしゃくしゃすることがあり、何も言わず家を出て、ファミレスで一杯ひっかけて、何食わぬ顔で家に戻り、洗濯機のふたを開けて、全自動洗濯機が洗い終えた衣類を無言で干すのだろうか。

それとも、今日は彼女が3か月前から企んでいた「なんでも好きなことをしてみる日」を遂行中で、『朝からワイン』『朝のうちに新聞』を終えてこれから『ぶらぶらしながら思いつきで映画を観る』に移るところなのだろうか。あるいは、彼女はそれを毎日している人かもしれない。

開いた本のページは進まぬまま、私は想像を続けていた。

なぜ私は、こんなにも彼女のことが気になるのか。

理由は、二つある。一つは、私がカウンセラーという職業柄、「人にとって(特に女性にとっての)幸せとは何か」に強く関心が向いているということ。二つ目は自分自身が、「老いながら生きる」ことを現実味をもって考え始めているということ。

私は今47歳で、末子が中学2年生、あと5年もすれば実務的な子育て(弁当づくりとか)は終わり、10年以内に経済的な子育て(教育費とか)も終わる(はず)。その後をどう生きるかの自由度といったら、子育て期が長すぎて、にわかには想像しがたい。30年もの間、自分以外に保護すべき誰かがいる前提での選択を常にする必要があったのだ。だから、突然のフリーダムに突入する前に、今からずっと助走期間として、シュミレーションしてしまう。

子育て終了に向けてしがらみ的な自由度が増すのに反比例して、体力気力脳力は、着実に衰えを体感しつつある。だからこれまで気力体力となけなしの脳力でなんとかやってきたことを、同じやり方でこなしていくのは難しい、とハッキリわかっている。むしろこれまで使えなかった(足りなかった)、人間力や知恵、経験の蓄積から何かしら貢献できる部分をアウトプットしていくのがこの先の在り方に違いない、と整え直しているのがこの数年来の私。

さて、私には70歳を超えた母がいる。母は65歳くらいから「もういつ死んでも同じ」と言うようになった。好きだった本も、「目が疲れる」「気づくと同じ行ばかり見ている」と読まなくなり、時々行っていた交流場でもあったパチンコも「原資がないから」と行かなくなった。膝が痛いので遠くに行くのはつらくなり、トイレが近いからと旅行も億劫になった。その孤独や絶望、またはそう言っていられるゆるい幸福に共感できるほど私には余裕がなく、むしろ聴きたくない話であった。なんの助けもできない不肖の娘は、母親に自立して幸せでいてほしかったのだ。

一方、友人の母は年金暮らしだがとても自由を謳歌しているように見えた。娘の独立後に離婚し、それから長年つきあっているボーイフレンドがいて、「カラオケBOXに行く時はね、そうめんをもって行くんよ」と教えてくれた。めんつゆは、ペットボトルに、そうめんと薬味をそれぞれ別のタッパーに入れて持ち込むのだそうだ。朝起きて散歩して、朝市で買った野菜で料理を23品作り、それを3日くらいかけて食べる。昼から焼酎を少し飲み、TVで昼ドラを観てうとうと眠り、夕方からニュースやバラエティやサスペンスを観ながら自分の手料理を少しづつ食べ晩酌する。いつのまにか眠る。その繰り返し。

 

私の母も友人の母も、地方都市に住む70前後の単身女性。私は今のところ夫がいて都心に住んでいる、自営業。おそらく仕事の現役年齢は彼女たちよりも長いだろう。20年後の生活スタイルも時代もかなり違うだろう。さらに人生上の欲深さも、彼女たちの比ではないと自覚している。

つまり、知ってる母世代ではロールモデルにはなりにくい。かといって、尊敬するフェミニズム系の先輩がたはなんだか思想的にも行動的にもご立派過ぎて、私が目指すにはとても遠い気がしてしまう。
そこで、先日のファミレスのご婦人に目を奪われたのである。朝9時半のファミレスで、白ワインを飲みフライドポテトを食べて新聞をたたみ席を立つ60代後半の女性に、私は、彼女を手掛かりとして、自分の具体的な将来像を描こうとしていたのだ。本人が実際にどう生活してるかではなく、あれが私の20年後だとしたら、店を出た後、私はどこへ向かうのだろうか。

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※これはファミレスではなくご近所のバルにて。
この日も、子どものいない「慣らし」のような1日だったのでした。

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