今回の震災に関してツイッターで話題になっていたビートたけし氏の発言で

「二万人の人が亡くなった1件の事件でなく、

二万件の事件なんだ」

というのがあった。それぞれの痛みへの想像力。

ちょうど、私がネットにあふれる「情報」や「主張」に疲れて来た頃でもあり

この言葉を何度も反芻した。

ブログで、「個人の感想」を読むととてもほっとした。

どんなに辛く悲しい想いであっても、ほっとしたのだ。

涙を流しながらも安心する。

ひとりのココロが、ちゃんと語られていること。

情報やべき論の怖いところは

ひとりのココロが無視されそうなところなんだ。

スカイプや対面やメールで聴かせていただくのも

個人の物語。

私は、いつもそのサイズを指向してるんだろうな。

日本史や世界史や地理がもっと「ひとりひとりの物語」として語られるものだったら

もう少し得意だったかも?

年号と地名と人名と見出しと事件が

うまく理解できなくて

理解できないことは記憶もできなかった。

公共事業や行政との連動にピンとこない中で

個人事業としてこぶたラボをやってきているのも

リアルな小さな世界で達成できる

理想の完成度を求めているんだな。

そうかあ、

私は

ひとりひとりのこころの物語を

聴いたり書いたり、語ったりしていくんだなあ。

もうひとつ、ブログで読んで心に残っている言葉。

震災は、個人的な体験である、ということ。

http://www.satonao.com/column/variety/shinsai.html

さとなおさんのブログより。

同時に起きたそれぞれの体験を語り合うことはできても

同じ体験ではないのだということ。

すべてが個人的な体験。

ブライトリスニングでは

前半STEP1,2と 後半STEP3,4で

それぞれ「共感」について違うアプローチで学ぶ。

ブライトリスニング前半でやるのは、「わかる」ということが

自分や身近な誰かの物語との勝手な同一視にならないように。

目の前の人が今語ろうとしている物語を

偏見なしにただ聴くということ。

ここで、多くの共感的な人はいったん混乱したりもします。

「共感してもらえないと話しづらいのでは?」

「今まで私が表現してきた共感は、共感じゃなかった?」

ブライトリスニング後半では、

それぞれの違う物語の底に流れる、

共通の望み。

そのエネルギーに共感するということ。

深いつながり、普遍性。

それは揺らぎなくそして確かな共感だ。

苦しみや悲しみを

相対評価で順位づけることのバカバカしさは

冷静なときにはわかりやすい。

でも、今みたいに

「自粛」だ「不謹慎」だ「非常識だ」「不道徳だ」「一致団結だ」なんて言葉が

たくさん行き交うときには

ついつい「私なんか恵まれてるほうだ」

「こんな時にこんなことでくよくよしてるなんていかん」

「こんな風に浮かれていてはいかん」

と相対評価の罠にはまりやすい。

はめられやすい。

ブライトリスニングで

個人の物語を聴き、語ろう。

耳自分も相手もクリアになるコミュニケーション
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http://ameblo.jp/lychee-tangerine/entry-10402413798.html

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