ブライトリスニング の中で繰り返しお伝えするのは
「相手が答を出すプロセスを邪魔しない」
ということです。
たとえ先に「こうなのでは?」と思いついちゃったとしても
うっかり答の形で提示してしまうと、
それは「他人の答」になってしまうのです。
それが当たっていたとしても。
☆素直な方が、その答を採用して、結果が良くないときに。。。
「ああ、やっぱり私の答ではなかった」と簡単にあきらめてしまうかもしれない。
でも、自分自身の答としてそのやり方を採用して、結果が良くない時には
「いや、これで合ってるはず。角度が違うのかな?」と工夫する意欲があるかもしれない。
かもしれないかもしれないって。。。そう、あくまでも仮定の話なので
うまくいっちゃう場合も、ある「かもしれません」。
自分自身で、体験して実感したことしか、自分の答にはならないので。
普段私はいろんなことを言い切りますが、それも、単に私の答に過ぎません。
ほんとかどうか、自分にもあてはまるかどうかは、自分で体験してみてね。
☆では、素直じゃない(?)人の場合。
答を先に示されると、抵抗します。
「でも、こうだからできない」「それは、こういう心配がある」
言い訳のような理由を並べたり。
「そうですね」
といったん受け取って、やらない(笑)とか。
もしも親切心で、いろんなアドバイスを人にしても
相手がなぜか変わらないことが多かったら、、、、
「答」を示してしまわないように、
相手が答を出すプロセスに寄り添うようにしてみたら。。。。。
状況は変わるかもしれません。
今までとは違う手ごたえ、
相手の顔が輝く瞬間に立ち会えるといいですね。
答を出すプロセスに寄り添う聴き方。
ブライトリスニングではそれを繰り返し実習していきます。
相手の答に自分の答を混ぜない。
相手の意見がまとまる前に、自分の意見を入れない。
普段私はやってしまいがちですが(汗、
この法則をお互いが知っていたら、
自由に意見を出し合って、そして混ぜないコミュニケーションが可能だなあと
そこを夢見ているのです。
なんか、出された答を示されるのって、、、、
噛んだ食べ物を口に入れられるのに似ている。
と思いついてその嫌悪感にうえっとなりました。
自分で噛んだから飲みこめる。
美味しく食べたから消化吸収して栄養を活用できる。
(自分で育てた野菜を収穫して、調理して、食べたらすごく美味しいように、
自分の経験から考え、思索を重ねて出した答は、ほんとうに栄養になるのだろうな)
噛んであげて口にいれてあげちゃうのって、、、
赤ちゃんじゃないんだから、相手に失礼。
(赤ちゃんだとしても、最近は噛んだ人の歯周病菌や虫歯菌や
唾液といっしょに口に入れるのはよくないとも言われてますしね。。。)
ブライトビーイング や、個人セッションの3回・5回コース のメンバーが、
日報を書きながら日々いろんな気づきを伝えてくれているのが
またその考えを補強してくれてます。
伴走する私のポジションをしっかり自覚せねば。
体験も考えるのも気づくのも答を出すのも、
本人にしかできないこと。
そんなことを風呂に入りながら思う土曜の晩。
友人の子がお泊りに来ていて、女子2人は楽しげ。
小学生になると、飯と安全さえ確保できれば(あとは盛り上がったときの騒音対策か)
ほっとけるので
どんどんお泊り行き来できると
親は時間ができますね。
預ける、というより子ども自身が楽しんででかけられるから
夫婦ででかけるのも罪悪感なしでできるよなあ。
夕飯は
I氏特製ハンバーグでした♪
あまりの大きさに、nikoは食べきれませんでした。^^
7/22の亜莉さんのハンバーグ講座楽しみだな~~~。