子供という立場の残された時間 | 黒猫本舗のブログ

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5人の子供の事を中心に備忘録感覚で書いてます


ヌシが生まれてから初めて

父と祖母が来てくれた。

5人目の子供と言えども

長男家は常に子沢山のキューティ家と違い

私の家系は子供が少ない。

祖母が3人兄妹、

団塊世代の父は一人っ子、

父の従兄弟も一人っ子、

私が弟との二人姉弟、

弟は結婚する気配はナシ、

だから孫が5人になるなんて

父も祖母も凄く嬉しいみたいだ。

私も1人で新生児抱えて

往復4時間近い通園だった前回と違い

今回はノンビリ出来ているので

「赤ちゃんがいるって幸せだなぁ」

心からそう思って生活している。

上の子4人もやはり喜んでいて

「君らが産んだ子か?」ってレベルで

赤ちゃんの面倒を見てくれるので

物心つく前からヌシはニッコニコ。

長男は泣き声が凄く苦手で

誰かが泣いていると何故か

自分まで悲しくなる性分なのだが

ヌシのオムツ換えをしていると

長男がサッと出て来てオムツを処分する。

いやいいよって言ってもサッと出てくる。

新しく買ったオムツも所定の位置へ。

ミルクにも興味津々なので

「久々に飲んでみるか?」

とコップに少し作ってやったら

(覚えているのと何か違う)

そんな面持ちをしていた。

いやいや同じ銘柄だっつの、

君の味覚が変わったんだと思うぞ。

まぁ散々書き散らかした様に

赤ちゃんが生まれて幸せ~なんてのは

道行く人から

「おっ、お母さん幸せだねぇ!!」

そう言われてふと考えてしまう、

そんな時期が長かったのだが

子供がいない生活に戻りたい

とは全く考えなかったので

ないものねだりでゴネてただけなんだろう。


今回の父の訪問はいつもと違って

「不動産の話をしたい」

そう申し出があった。

私も弟も三十路半ば、

妥当な展開なのかもしれないのだが

父は去年、入院している。

精密検査で2カ月以上とか

正直、何となく嫌な予感しかない。

父もその結果には全く触れないので

本人が話さない事は私も触れない。

私も妊婦だったし家は空けられないし

何より入院先も教えてくれなかった、

ガンとかそう言うのではなさそうだが

ガンより深刻な難病である気もする。

BJ並の医療技術を私が持っていたら

ツブサにアレコレ聞きたいところだが

肉親にも言わない事は

肉親だからこそ突っ込めない。

そこに相続の話。

いつものお父さんとして話す以上は

いつもの娘として対応しようと思った。

大事な話をするんだけど、そう伝えたら 

子供達は空気を読んで席を外し

お土産に無言で興味津々の長男を

長女が促して引っ張って行った。

祖母が抱っこしてるヌシの高鼾だけが響く。 

「まずは出産おめでと、はいこれ」

「いつもありがとう」

手渡された銀行の封筒をしまいながら

私は地味に緊張していた。

東京の物件達は東京在住の弟が相続、

九州の祖母の生家及び土地関連は

熊本在住の私が相続、

そんな話で書類に署名と捺印して

「これで俺は安心していつでも死ねる」

そう父は笑った。

ファイルから書類を出す事すら覚束ない、

そんな手元には触れず

やっと差し出された書類を

「金のある苦労って奴か、大変だね」

そう軽々しく受け取る。

「あははは、うるさいよ」

………ねぇ、お父さん、

本当は物凄く深刻な病気なんでしょ?

身体が徐々に動かなくなるような類の。

その言葉を何度も飲み込む。

「後は子供達の通帳な、一応これだけ今のところ入れてある」

私が双子を授かった時に

無収入になるとか耐えられん!!

子供1人に何千万でしょ!?

みたいな煩悶をしていたときに

「俺が大学まで全部面倒見るからお前は安心してどんどん産みなさい」

そう言われて渋々納得、

通帳はその通りになっていたが 

子ども手当のお金以上に 

それは子供達が大人になるにあたり

子供達の人生の進路等の為に遣う事にして

我々はそれはないものとして

父から見れば極貧生活に見える様だが

この生活を今まで通り続ける、

楽しくノンビリ生きると決めたんだ。

そう伝えた。


私が独身時代に毎月遣っていた金額で

家族6人がソコソコの生活が出来ると

この10年で思い知った。

美容院とネイルと服飾費と交際費と外食、

それに夜遊びの数々を抑えただけで

子供が4人育てられるとは如何に。

でも無駄だったとまでは思わない、

昼も夜も毎日てんこ盛りで楽しかったし

あんだけ副業副業で稼いで派手に遊んだから

こんだけ地味になれるんだろうな、

前時代の反動って奴で。


30代になると20代の頃と比べて

着飾る人がガッツリ減るのは

新しい物への興味がダダ下がるのに併せて

「即金で買えると思ったら別に欲しくない物」

ってのが削ぎ落とされる、

そんな一面もあるのかもしれない。

現に二十代の頃の私が

あんなに理由もなく執着して集めた

ヴィトンのマルチノワールとか

ヴィヴィアン・ウェストウッド達は 

子供が生まれたら全く使い途が無く

物置部屋で本当の意味でカビていた。

熊本の湿度、恐るべし。

それでも拭けばいい、喜んで貰いたい

って若い子が何人かいたから

服とその手のバッグはあらかたあげた。

古びた私の中古の衣類や鞄達も

若い人達にあんなに喜んで貰えて

再び使って頂けるなら本望だろう。

手元に残したのは思い入れのある

15年付けっぱなしの

バーバラのネックレスと

引き出しにしまったまんまの

ガボールのブルドッグブレスレットのみ。

熊本に引っ越してお金が無かった時期は

少し魔が差した時もあったが

この2つは私の遺品になる気がする。

……遺品。

父が余りにも自分のいない前提での

将来の話ばかりするので

何か駄々っ子みたいな気分になった。

土地とか物件とかお金とか言ってっけどさ?

それらを私や弟が相続するって事は、

お父さんもおばあちゃんも

その時は死んじゃってるって事じゃん?

じゃそんなの要らないからさ、

ずっと生きててよ、

いや本当マジでマジでマジで!!

仰向けになって喚き散らしたかったが

喚き散らしたところで何も変わらないから

何も変わらずいつも通り。


「お前が相変わらず冷静に話を聞いてくれてよかった」

「内心全く穏やかじゃない」

「え?ははは、そうか?」

祖母は父の隣で無言で

相変わらずヌシを抱っこしていた。

旦那さんも兄も妹も先立って久しく

もしかしたら一人息子まで自分より先に

そんな覚悟が見てとれる表情だったが  

5人の母親の私でも

そんな事態になったら取り乱す自信がある。

祖母は物凄く強い人だ。

50㎝近い段差も

祖母はアッサリ上がれるくらいで

肉体的にも見た目にも90歳とは思えない。 

だから余計に父の身体的な衰えが

浮き彫りになってしまう。


もし、自分が死を予期する事態になったら。

父が相変わらず明るい理由も

何となく分かる気がした。

自分が弱ってる事で子供に気遣われたり

自分の事で子供が悲観的になるくらいなら

極力、いつも通りの自分でいたい。

この軽々しい自分の印象を

子供達にはずっと持っていて欲しいし

自分が死んで泣かれるよりは

「何かハチャメチャな人だったよね、あの時とかさ」

って笑い話の方が先立つような

そんな先立ち方をしたい

……と思う気がする。

そう思って祖母に向き直る。

「そういやおばあちゃん、ヌシ凄い重いけど大丈夫?」

「1ヶ月には思えないくらいしっかりしてるね」

「5700gとか言われたんだよ、一昨日の1ヶ月検診で」

「5700?そんなに?」

「そう、新生児室のヌシは1ヶ月検診でもヌシだった……あっ」

「見てほら、笑ってるわ」

生後2週間くらいまで

ヌシは1時間半起きに泣いて

私は朝早いキューティを起こさない様に

キューティはキューティで

少しでも私を寝かそうと頑張ったり

初の夜泣きらしい夜泣きに

夫婦で苦労したのだが

ヌシは眠りに落ちる前の一瞬、

高い確率でニコニコッと笑う。

その顔で何とか乗り切れた感じ。

今は23時~4時までは寝てくれるので

私はスプラトゥーンと読書が捗る。

寝ろよ!!って話なんだけど

もし万が一赤ちゃんが泣いて

私が起きられなかったら……?

そう考えると何か寝られない。

一度の泣かせっぱで赤ちゃんは死なない、

そんなん解ってんだけど

結局1人、夜明けを迎える日々だ。

昼間はヌシとちょこちょこ寝るから

それで賄えてる感じ。

私はノンビリ生きるんだよ、

もっかい子供時代をやり直す気持ちで

子供達と同じ事で楽しんで

子供達と一緒にいられる時間を悔いなく。

父と母はお互いに

仕事と家を任せっきりだったから

お互いの苦労が見えないまま

話し合いすらままならず擦れ違ったんだ。

でも親になってみると分かる。

海外出張続きで時差ボケと胃潰瘍に悩まされ

あれだけ稼ぐ事の苦労も

収入こそないにしても

あれだけの家事をキチンとする苦労も

どっちも同レベルには程遠い私は

「お互いやってくれてる事には感謝しないで至らないところだけ見たから上手く行かなかったのだろう」

そう結論づけた。

だからパパが安心して外で働けるように

みんなで頑張ろう、

ママがカリカリしないように

みんなで頑張ろう、

子供達が安心して育つように

夫婦でやってこう、

そんなスタンスになってる気がする。


「子供達がみんな素直で良い子に育ってていいな」

「親がこんなだと子供がしっかりするしかないんじゃない?」

「何だそれ、当てつけか?」

父が笑いながら私の肩を叩く。

私も笑いながら父の肩を軽く叩き返した。

昔あんなに反目しあってたのが

何だか嘘みたいだが

私が父親の子供でいられる時間はもう

思っていたより短いのかもしれない。

熊本に来てからは会うのは年に1、2回。 

平均寿命から考えると

あと十数回しか会えないのかもと思ってたが

もっともっと少ないのかもしれない。

だからこそ、その会える時間は今まで通り、

こうして軽々しく軽口を叩き続けたい。

恒例の食事会が終わって

父達が帰る時間になった。


「来年は赤子氏の入学式、再来年は長女長男の入学式だからよろしく」

「そうだな」 

そこへ次女が首を傾げて

ホンッと何の気なしに

「おじいちゃん、それまで生きてられる?」

とか言い放ちやがった。

「次女、おじいちゃんを早めに死なすなよ」

私に一喝されて次女はハッとした顔で謝るも

「正直だなぁ、次女は」

と父は大笑いしていて祖母も笑っていた。

「2人とも、特におばあちゃんもヌシの成人式まで頑張ってよ」

そう私が言うと祖母も噴いた。

冗談でありながら本心なんだけどな。

恒例の我が子ら1人1人と祖母と父は

ハグして別れを惜しんで

去っていく父と祖母を見送りながら

ふと考えた。

いつになるかは解らないし

まだ早い話なのかもしれないけど

次は自分の番であるのは間違いない。

子供は子供を産まないと親になれないが

自分を産んで育ててくれた親は

いずれいなくなってしまう、

そんな頭では解りきった事が

現実となり様々な書類と共に

形となって実際に突きつけられた、

それは解っていても凄く重かった。

今すぐにじゃないけど遠い話でもない、

だからこそ余計に。