戦国時代最大のミステリー・本能寺の変。

 

歴史を知る後世の我々から見たら、勢いがあり、

全国統一を目指す信長にまさかの顛末。

 

近年の研究では黒幕説(秀吉、家康、朝廷)や怨恨説は否定されております。

 

怨恨説は当時の資料には無く(一次資料)、江戸時代に入り、

売り上げを上げる為に作られた、盛り込まれたということです。

信長は光秀を嫌っていた説もあるようですが、重要な京都周辺の支配を任されていたり、朝廷や室町幕府とのパイプも果たしていましたから、無いようです。

名実ともに織田家家臣内では信長、信忠(嫡男)の次の立場に居たことは確かなようです。

 

有名な宣教師・ルイスフロイスは光秀は怪しい人物だと解説されております。

否定はできませんが、日本は面白いことに自国の事をあまり理解されていない海外の方の資料が一次資料として評価されている事があります。

 

また光秀は少し前に誰かに宛てた手紙に、「今日の自分は信長様のおかげ」(要約)

と記しております。

 

だからこそ本能寺の変は謎??

 

で、どうも近年の研究では「単独説」で絶好のチャンスがたまたま巡ってきたから。

それは信長、信忠親子が警備が手薄のまま近くにいた、千載一遇の機会、だから。

 

動機は野心。

 

信長、信忠親子を打てたが突発なアクションだったから、

その後は光秀はもったりとしており、電光石火で戻ってきた秀吉に打たれた。

 

というのが一連の「本能寺の変」ではないのか?

 

また本能寺の変後に光秀は関係者、有力者に手紙を送っておりますが、

手紙の中には一文字も「室町幕府再興」とはうたっていない とのことです(爆)

 

という研究があります。

元ネタは以下のYouTubeです、宜しければご覧ください。

 

 

今年の光秀は真面目な優等生タイプのようですね。

 

謎が謎を呼ぶ、ミステリー。

 

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