4. 大丈夫、どうせ人生うまく行く~私の願いと罪悪感~ | 雨の日も風の日もそして晴れの日も! In アメリカ

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1998年、国際結婚を機に渡米。 アメリカの企業で企業管理者として勤続25年。本業と並行して、英会話コーチしています。バリキャリアラフィフ女の笑える日常生活をアメリカからお届けします!私の詳細についてはプロフから!

私の人生、50年を振り返っています。

 

あ、ちなみに、このシリーズのタイトル、「大丈夫、どうせ人生うまく行く」

 

私の人生、本当にいろんな事が起こるけど、でも最終的にはどうせうまく行く、そしてうまく行った。

 

そんなところから来ています。

 

子供の頃から、母と祖母の不仲にずっと心を痛めてきた私。

 

一つ覚えているのは、うちに首がペコペコ動く、手のひらサイズくらいの人形の置物が家にあった。

 

今、冷静になって考えてみると、首のところがバネになっていたこの人形、かなり気持ち悪い(やめなさい)

 

ある日の事、母が、「この子の頭をこうやって指で押してあげて、何か願い事をしてごらん。叶うかも知れないから」と私に言いました。

 

きっと母は、まだ5歳くらいだった私の願い事なんて、きっと遊園地に行きたいとか、カレーが食べたいとか(笑)そんな願い事だと思っていたんだと思う。

 

でも私の願いはただ一つ。

 

「お母さんとばーちゃんが仲良くなりますように」

 

そしてその願い事は残念ながら叶う事はなかったし、私はこの願い事の話を誰にもしたことはなかった。

 

前に一度ブログで書いたことがあったかも知れない。

 

父と母は私がとっても繊細な子で、母と祖母の不仲について心を痛めていた事に気づいていた。

 

同居すると言うのは本当に大変な事。

 

だから両親は、私が小さい頃からこういってくれていた。

 

「あなたは長女だけど、この家を継がなくていいんだよ。婿養子なんて取らなくていい。自分の好きなように生きなさい」

 

そして、実際に、その言葉を鵜呑みにし、好き勝手に生きてきた私だけど、心の中で、両親を置いてアメリカに来たことに対して罪悪感をいつも抱えてきた。

 

それは、家を継ぐ継がないと言うよりも、もっと違うところから来ていた。

 

この話は改めて、アメリカに来てからの話の中でしようと思います。

 

つづく