いろいろ頭の中で思うことがあり、
それを文章に書くことによって、
自分の気持ちを少し整理出来る心の余裕が出来た気がして、
ブログを書いてみることにしました。
でも上手くまとまらないので、支離滅裂な文章になるかも知れませんが気にしません∑(゚Д゚)
前回のブログにたくさんのいいね、そしてコメントありがとうございました。
読んでくださる方の中にはアメーバIDを持ってらっしゃらない方もたくさんいると思いますが、
そういうたくさんの人からの想いも、もちろん伝わりました。
本当にありがとうございます。
コメントのお返事もまだしていないのに、
このブログを先にアップする形となってしまい本当に申し訳ないですが
また後日、お返事させてください。
前回のブログをアップした翌日、会社の社長は他界しました。
虫の知らせと言うか、私の中でずっと何か予感がしていたので、
訃報の知らせをもらった時も、なぜか私の心は落ち着いていました。
日曜日の朝、私がシャワーを浴びている時に、
シェリーの旦那さんからの着歴があったのを見た時に、
その時が来たのだな、とすぐに察しました。
いろんな思いが私の中にあります。
最後のほうは、本当に辛い闘病生活だったと思います。
本人も、そしてそれを見守り看病する家族も。
亡くなる寸前は体重が45キロを切っていたそうで、
成人男性、それもアメリカ人男性ではあり得ないくらいの低体重だったと思います。
私を含め、シェリーの元で働いていたマネージメントの人間は、
社長のそういう状態をずっと知っていたのもあるし、
シェリーがそれを看病し続けていたのも知っていたので、
ここ1年間、そして特にこの数か月は、
まるで自分の事のように心が痛く、本当に辛い日々でした。
私とシェリーはとても似たところがあり、
精神的に強く、会社でも家族の前でも弱い姿をあまり見せません。
それは別にやせ我慢しているわけではなく、
家族に甘えられない、甘えたくないというわけでもなく、
自分の感情を、先ずは自分の心の中で処理することによって自分なりの答えを見つける、整理をする、
ただそういう性格なのです。
なので、私も彼女のその性格をよく知っている分、
表では気丈にふるまっていても、心の中ではいろんな思いを抱えている彼女を見るのが辛く、
そしてそんな彼女と、自分にも起こるであろう将来の自分の姿を重ねてダブルで辛かったのもありました。
父親が同じ敷地内に住んでる状況の彼女とは違い、
同じ立場になった時の私には出来ることが本当に限られている。
例えそれが、自分で選んだ人生の選択だったとしても、
実際に直面するとなると、私はどこまで精神的に強くいられるのか。
介護の経験がない私がこんな風に言うのは、配慮ない発言に聞こえるかも知れませんが、
私からしたら、シェリーは自分の大切な人の最期を迎える過程にいることが出来て、
看取る人も、看取られる人も幸せだったと思います。